2015年03月20日

MOMOがゆく 新しいステージ(中学生)

Yosはもう、筆を折ってしまったのか?と、お思いだったでしょうか。
いえいえ、そんなことはありません。
MOMOのジュニアたちが走り続けるかぎり、「MOMOがゆく」も続きます。

高知に帰ってから、みんなのレースをナマで観戦できないので、レースレポートからストーリーを起こすのと、いつもSKM48さん(もうSKM49?)から、「長い!」とお叱りを受けるので、今回は、ショート・ショートの5つの物語。

文体が1人称と3人称の混合なので、読みにくいところもあるかもしれませんが、それは、短い文章の中で、ジュニアたちの気持ちを、できるだけ本人に言わせたかったからです。何卒お許しください。

それでも「長い」?
でも、どうか最後まで読んでほしい。
最後まで読めば、最終の3行で、あなたはきっと、涙する。

では、以下、本編です。
Yos

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MOMOがゆく 新しいステージ(中学生たち)

自転車で坂を上るのは、苦しい。
でも、苦しいけど、辛くはない。それどころか、圧倒的に、楽しい。
前を行くライバルたちの背中を見ながら、U太はそう思う。
まだまだ、上に強いやつらがいることを痛感させられたのは、去年の夏、中学生クラスで臨んだ「全国小中学校マウンテンバイク大会」だった。
毎日の厳しい練習に明け暮れ、表彰台を目指して臨んだレースだったが、上りのパワー不足で引き離された。
得意の下りでカバーして何とか食い下がったものの、表彰台には届かなかった。(中学生は1年生〜3年生が同カテゴリーで走るので、1学年ごとに区別される小学生より、はるかに競争が厳しい)
それでもまだ、全国大会は「中学生」というくくりがあったが、それ以外のほとんどのレースにおいては、中学生以上は、「大人」として扱われる。
6年生の頃は「ジュニア」カテゴリーでライバルが限られており、優勝を含めて、多くの大会で表彰台に立てたU太だが、中学生になってからは、ほとんどのレースで「大人」としてのエントリーになり、より強いライバルと走る機会が増えた。
そうなると、もちろん、強くて速い人たちがワンサカいて、上の順位に行くのは、ますます厳しい。

そんな厳しい、大人たちとの混走の中、きょうもU太は、クロスカントリーのレースを走る。
コースは今、坂の頂上を越えて、下りにさしかかる。長くて危険なガレ場の下り道だ。
ギャップだらけの路面には、ところどころに岩が露出し、尖った石がたくさん転がっている。
危険な山の道を、U太は時速50kmを超えていようというスピードで、疾走してゆく。
もしも今、吹っ飛んだら、間違いなく大ケガをするだろう。骨折ぐらいじゃ、済まないかもしれないなと思う。(過去に両手骨折もやってるし)
しかしそんな思いに反して、恐怖にひるむどころか、U太の両側の口角は、少し上がる(注:笑っているという意味ですよ、子供たち)。
U太の視線が、遠くに向けて絞られる。ギャップやスライドには、体が勝手に対応する。だからU太は、遠くだけを見る。
前には、同じカテゴリーに出ている大人たちの背中がいくつも見える。
「さあ、前のオジサンたち、今行くから、待ってろよ」
ブレーキレバーには、軽くタッチしているだけ。踏めるところでは、さらに踏んで加速してゆく。
Yosさんは僕のことを、「お前は正真正銘の、スピード・ジャンキーだ」という。
そう、僕はこのスピードが好きだ。
だって僕のパパは、サーキットをオートバイで、時速200kmで走っているんだもの。
僕は、その血を引いている。
U太は、スピードに恋をしてしまった。
流れるU太の視界の中で、抜き去ったカラフルなジャージの大人たちが、後ろの方へ飛んでゆく。
U太が、早春の山を、疾走してゆく。
激しく争う選手たちをよそに、ウグイスが森の中で長閑(のどか)に鳴いている。
ピンクやオレンジ、パープルにブルーと、色とりどりのジャージが競い合う山道の傍らでは、それに負けじと、薄い桃色の花を満開にした早咲きの山桜が、新しいステージの始まる春を告げていた。

U太トップ.jpg
スピード(昔のアイドルグループじゃないよ)に、恋をしちゃったU太

ロッシ.jpg
え?これはUpapa?

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GPミストラル最終戦。

U太年間チャンピオン.jpg
U太は年間クラスチャンピオンを獲得

U太.jpg
お台場では3位

D地は逃げる。
「いいかD地、おまえは、逃げるんだ」
最初にそれを聞いたとき、僕にはよく分からなかった。
「え、逃げるの?でも逃げるのは、カッコ悪いことじゃないの?」
首をかしげる僕に、Yosさんは言った。
「自転車のレースで『逃げる』ということは、一番前を、勇気を持って走るということなんだ。
誰かの後ろで空気抵抗を減らして走って、後から前に出たりせず、自分だけの力でレースを走りきるということ。これが一番、カッコいい。
だからツールド・フランスで観客が一番大きな拍手を送るのは、逃げて勝った選手だ。
なぜなら観客は、その選手が他の誰よりも勇気を持ってレースを戦ったことを、知っているからな。
だからD地、おまえも、そういうレースをするんだ」
だからきょうのレースでも、D地は迷わず、スタート、ダッシュだ。
勇気を持って、誰よりも早く、1コーナーに突っ込んでゆく。

レースが終わったあと、D地はフラフラになって、ゴールわきにくずおれる。文字通り、倒れこむ。
きょうはスタートでトップを取って、あとから4人に抜かれての5位。それでも全力で走ったから、気分壮快だ。
集団の中で体力を温存し、最後に勝負をすれば、もしかするともっと上でゴールできたかもしれない。
でも今は、これでいい。
いつかきっと、スタートで先頭に立ち、そのまま逃げ切って、誰にも抜かれないレースをする。
そうすれば、僕の勝ちだ。
自転車はD地に、勇気と、強い心を与えてくれた。そして何より、素敵なすてきな仲間たちも。
だからD地は、きょうのレースでも逃げる。
自転車のレースでは逃げるけれど、D地は、学校でいやなことがあっても、逃げたりはしない。
自転車と、仲間がくれた勇気を持って、向かってゆくからだ。
ビンディングペダルに、カチリと右足が入った瞬間、D地の、勇気のスイッチが、ONになる。

D地トップ.png
D地がロケットスタートでトップに立つ

D地コーナー.png

D地ゴール2.jpg
全力を尽くして戦ったあと、へたり込む。その姿は、泥だらけでも美しい。

D地ゴール後.jpg
これからも、全力疾走だ、D地

ちょっと、アップをやりすぎちゃったかな、と、ローラー台を降りながら、Shokaは額に浮いた汗を拭いた。
さっき試走した砂浜は、難しかった。攻略法を、乗る、かつぐ、押して走ると、3つ試してみて、押して走ることに決めた。
去年中学校に進学してからShokaは、バドミントン部に所属している。
部活のために、6年生のときと比べると、どうしても自転車に乗る時間が減ってしまった。
とくにここ1ヶ月ほどは、全くといっていいほど、自転車に乗っていなかったが、その分、部活での毎日の走り込みのおかげで、体力がついた。
だから、慣れない砂浜は、走るほうが速いし、体力も温存できると思ったのだった。
「シクロクロス東京 2015」
プロが走るカテゴリーもある大きな大会に、応援と観戦の観客が4,000人以上集まった。文字通り、ビッグレースだ。
Shokaのスタート位置は、40番目。そしてこのクラスの参加人数は、40人。つまり最後尾からのスタートだった。
自転車のレースはおおむね、速い(と判断される)選手から順番に前に並ぶ。
F1やオートバイのレースを思い出してほしい。予選で速かった選手から前に並ぶのは、もちろん、そのほうがアドバンテージが高いからだが、もう一つ理由がある。
それはスタート直後の密集状態の中で、遅い選手の後ろから、速い選手が追い抜きをかけると、追突の危険が高いからだ。
Shokaの走るクラスのエントリーのほとんどが大人で、中にはプロではないものの、チームスポンサーがついている強豪のライダーもいる。
そんな中で、若干13歳のShokaは、「いちばん遅いだろう」と事務的に判断され、この最後尾のスタート位置が与えられたのだった。

しかしこの事務的なスタート位置が、あとで最高に痛快なエピソードになることなど、Shoka本人はもちろん、そのときは誰も考えてもいなかった。
スタート直後の砂浜は密集状態で、思ったように前に行けなかった。
乗って転倒する者あり、バイクを横にしてかつぐ者ありで、なかなか前に出るラインが見つからない。
それでも、決めていたとおりにバイクを押して走り、シングルトラックに入るころには、15位ぐらいに順位を上げていた。
砂浜の渋滞に難儀しているあいだに、前からスタートした速い選手は、もう手の届かないところまで先行してしまっているんじゃないかと、Shokaは心配だった。
「ああもう、きょうは表彰台は無理かなあ」
しかし実は、このシングルトラックこそ、彼女が一番得意とする舞台なのだった。
主戦場がマウンテンバイクのクロスカントリーレースで、ギャップやタイトな切り返しは得意だ。
そしてきょうの相手の多くは、700Cのシクロクロスバイク。
見通しのきく広い河川敷などで行われることが多いシクロクロスレースだが、きょうのレースに組み込まれたシングルトラック(ギャップが多く、自転車1台分しか幅がない)では、Shokaが駆る26インチのフロントサスつきのマウンテンバイクと、彼女のライディング・テクニックが生きる。
そうなると、6年生のときにはマウンテンバイク全国大会を制しているShokaは強い。
慣れないシングルトラックに難渋する先行の大人たちを、ひらりひらりと、右から左から、追い抜いてゆく。
それでも最終周回に入ったところでは、まだ前に何人かの選手が走っていた。
これ以上は厳しいか?
「でもまだ、わたしには、シングルトラックがある!」
最終周回のシングルトラックで、また数人の選手を抜いた。
そして、
「え、もうあと前に2人だけなの?」と、Shokaは驚く。
自分が今、3位まで上がっているのが、コースのあちこちを走り回って声をかけてくれるパパ(gen)やUpapaからの応援で分かったからだ。
しかも今、最後の砂浜にさしかかり、その2人の背中が見える。
それなら、Shokaが今、やるべきことは一つだけだ。
「いける!まだわたしの息は上がっていない(走り込みと、入念なアップのおかげ)」
そしてShokaは、渾身の力を込めて、砂浜を駆け抜けた。

表彰台の一番高いところから、4,000人の大観衆を眺めるのは、最高に素敵な気分だった。
まさか優勝できるとは思ってなかったから、本当に嬉しい。
それに、副賞にもらったプロ仕様の整備スタンドは、きっとパパが大喜びするはず。
このところ部活が忙しくて、なかなか乗ることができなかったけど、やっぱり自転車って楽しい。
小学校のときみたいに、毎週毎週は乗れないけれど、こんどレースに出るときも、きっとあきらめないで、わたしは、そのときの、わたしの全力で走ろう。
大きな拍手で祝福してくれる観衆の向こうに、キラキラと光るお台場の海を見ながら、Shokaはそう思った。

Shokaアップお台場.jpg
レース前には、入念にウオーミングアップ

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砂浜は押して走る。部活での走りこみが活きた

Shokaシングルトラック.png
得意のシングルトラックで抜いてゆく

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そして、39人の大人を抜き去って優勝!

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表彰。副賞の整備スタンドに、パパのgenは大喜び

Shoka取材.jpg
表彰の後、取材を受ける。そりゃそうでしょう。どっかのプロチームから、スカウトが来るかも

Team MOMOのメンバーの中で唯一、ロードバイクレースからマウンテンバイクレースに転向してきたのが、T樹だった。(もちろん、いまもロードバイクレースにも出るが)
T樹がレースを始めたのは、ロードバイクフリークである父親(Tchichi)の影響だった。
Tchichiが勤める会社は、実業団で走るロードバイクチームを持っている。そしてそのジャージのロゴは、「SUBARU」だ。
このチームは年に数回、富士山スバルラインを借り切ってヒルクライムレースを行うなど、活発なレース活動を行う。
そんなヒルクライムレースやクリテリウムレースに、父親と一緒に参加することから、T樹の自転車レースは始まった。
そしてT樹が中学校1年生のとき、出入りするバイクルームSINでよく見知っていた、MOMOの総監督でるあるgenから、「T樹もMOMOに入って、一緒にマウンテンバイクレースやらへん?仲間がおったら、楽しいよ」と誘われ、T樹はMOMOに加入することになったのだった。
Tchichiが頑張ってT樹のために買った初めてのマウンテンバイクは、なんとチタンフレーム。
もともとは、バイクルームSINの経営者であるシンスケ(このブログ内では「シン公」)が使っていたフレームを、お友達価格で譲ってもらって組んだバイクだが、それでもホイールやコンポーネントを合わせたら、それなりの値段になる。
そしてその本当の値段を、はたして母親(Thaha)が知っているかどうかなど、もはやこの際、どうでもいいだろう(笑)。
兎に角(とにかく)、T樹はそうやって、舗装道路のレースから、未だ見ぬ未舗装の「悪路」のレースの世界へと、足を踏み入れたのだった。
MOMOの練習会(今ではすっかり「MOMO練」で商標登録?されている)に参加しはじめた頃は、これまで慣れ親しんできたロードバイクとの、あまりの違いに驚いた。
スピードは、ロードバイクより全然遅いのに、難しい!
得意なはずの上りでは、いくらペダルを踏んでも、リアホイールは土をかいて空転するばかり。
木の根っこや大きな石がごろごろしている急な坂では、何度も転んで、文字通り泥だらけになった。
Yosさんに、「T樹、お前が前を走ったら危ないから、後ろにいけ、後ろに!」と怒鳴られて、自分より年下のU太やD地、はては女の子のShokaの後ろを走らされたときは、涙が出るぐらい、悔しい思いをした。
初めて出場したマウンテンバイクレースでは、1コーナーでハデにスリップして転んで、全治2週間の足のケガもした。
けれどもそうやって、転んで、泥だらけにりながらMOMO練に参加するたび、コケて痛くても、泥だらけになっても、いつも笑っている自分に気がついた。
転んだT樹を、「大丈夫?」とD地が気づかう。
「あそこは、フロントブレーキを使っちゃダメだよ。それで、お尻はもっと後ろに」と、U太が山での下りのコツを教えてくれる。
「仲間って、本当に素敵だなあ」

そして、きょう、T樹が走っているのは、今年のGPミストラル最終戦、シクロクロスレースだ。
ミストラルのAユパパの特別なアレンジのおかげで、JE3のレースにも出場したので、この日2本目のレースの中盤を、今、T樹は走っていた。
前を、マスター50クラスの大人たちが集団を作って走っている。
あの集団を抜いていくには、どうすればいいか。
「よし、一か八か、右側から行ってやる!」
JE3の時に、スタートの後の右コーナーで、多くのライダーが左のラインを取ることが分かっていたT樹は、このときただ一人、大回りになることを覚悟で、コースの右側を攻めることにした。
700Cシクロクロスバイクの大人たちを、大外から一気に抜き去る。
そのあとは、速い選手たちが単独で走っているので、あまり前の選手に詰まることなく走ることができた。
独走は得意だ。
それがT樹の持つ強さだった。
ロードバイクから始めたT樹は、単独で高速巡航すると速い。
身体をコンパクトにたたんだエアロフォームでスピードを上げて、一人ひとり、前をゆく選手を抜いてゆく。
勝負どころでは、ダンシング。愛車のチタンフレームの硬いウィップを、体の動きと完璧に同調させる。
ついに、トップに立った。
1週目のシケインで、同じチャレンジクラスの選手が、すぐ後ろまで迫って来たときは「ヤバイ」と思ったが、得意の独走区間で、ふたたび引き離すことができた。
これは、gen総監督が、何本も何本も坂を上るトレーニングをしてくれたおかげだ。
踏んで、回し続けても、T樹のスタミナには余裕があった。
そしてついに、ゴールラインが見えた。
これまで、リレーのチーム走での優勝はあったが、ソロのレースで、トップでゴールするのは初めてだ。
T樹は両手を高く突き上げて、その感動のゴールラインを、駆け抜けた。
高く上げた両手の間から見上げた3月の空は、きょうのT樹の初優勝を祝福するように、真っ青に、晴れわたっていた。

T樹ダンシング.jpg
バイクと一体になった、美しいT樹のダンシング

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ソロのレースで初優勝、おめでとう、T樹

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T樹仲間.jpg
gen総監督と、素敵なMOMOの仲間たち

もちろん、Team MOMOと一緒に、Team-Kがいつも同じレースを戦う。
この2つのチームは、良きライバルであり、良き仲間だ。お互いが励ましあって(ときには宿も共にして)全力でマウンテンバイクやシクロクロスのレースで競う。
K林家の兄妹、慧KとM琴も、きょうのレースを走っていた。

その2人を、遥か高いところから、見守る大きな2つの瞳があった。
「こらこら、そんなに天国のはしっこから乗り出したら、危ないから、こっちに来なさい」
「だって神様、わたしの大好きなあの2人が、あんなに頑張っているんだもの、応援しなきゃ」
「2人には、素敵な仲間たちがいるから、心配しなくても大丈夫だよ。それにあのお家には、最近、新しい家族も増えたのだよ」
「だから、ほら、安心して、私の膝の上に来なさい、ティラミス」

K林家.jpg

ティラミス.jpg
天国から応援

momoとK.jpg
MOMO-Kのロゴに、見えるかな?

***** MOMOがゆく 新しいステージ 完 *****
posted by Yos at 00:54 | Comment(3) | MOMOがゆく | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月28日

「MOMOがゆく」2014全国大会編 JJ&KK ツインビーム

「MOMOがゆく」2014年全国大会編
ツインビーム
JJ、KK、小学4年生女子


表彰式だ。KKは表彰台の一番高いところに上り、JMBAの会長さんから、金色に輝くメダルを首にかけてもらう。
「やったー!」KKは、ついに手に入れたメダルを手に取った。大きくて重いそのメダルは、坂を上るMTBが浮き彫りになっている。KKが、ほしくて欲しくてたまらなかったメダル。今年はこのメダルを手にするために、6位だった去年の全国大会以降、一生懸命、練習してきた。
そしてついに手に入れたメダルを、パパとママに向けて差し出す。パパとママが、満面の笑顔でうなずいている。ママが大きな声で、何か言っている。
「KK、起きなさい!朝ごはんよ。ほら、きょうはY山の道と黒トレに行くんでしょ」
あれあれ、ママ、それは違うよ。今日は全国大会で、わたしはメダルを取ったんだから…むにゃむにゃむにゃ。あれ?何だかおかしい、と思いながらKKが胸に手をやると、そこにはあるはずのメダルがない。そして着ているのはMOMOジャージではなく、パジャマだった。「なーんだ、またメダルを取る夢を見ちゃった」
まだ眠い目をこすりながら、2段ベッドの端から首をのばして下の段を見ると、ママがJJを起こしているところだった。
「ほら、早くパジャマ脱いで、準備しなさい」と、自分はばりばりのパジャマ姿のママが言っている。さてはママ、わたしたちを起こしたあと、また寝るつもりだな。
KKはするすると忍者のようにベッドのはしごを下りてくると、きょうの練習の準備にとりかかる。M永S野家の方針は、自分のバックパックの準備は全部自分自身ですること。「グローブは、指きりとロングの両方を持っていこう」「スペアチューブはここ」・・・。さいしょの頃はいろんな忘れ物をしてパパに叱られたけど、今は要るものをテキパキとコンパクトにまとめて、しっかり自分で用意をする。
「よし。こんどこそメダルを取れるように、きょうも頑張って練習するぞ」KKが少し鼻の穴を膨らませて深呼吸をして、気合を入れていると、JJもごそごそと起き出してきて、自分のバックパックにとりかかった。ふたりのバックパックは、もちろんドイターの自転車専用。10Lの軽量タイプだ。このパックは荷物の運搬だけでなく、転倒のときは衝撃から脊髄を守ってくれる。「ナイスリュック!(by U太)」だからMOMOの子供たちは、練習のときはいつも、バックパックを背負っている。

写真_1.JPG
きょうもY山の道と黒トラで練習!

昨年の全国大会、小学3年生女子のクラスで、KKは6位でフィニッシュした。出場15人の中での6位は、決して悪い成績ではない。けれどKKはこのとき、ゴール直後に悔しくて泣いた。スタート直後、オーバルコースから山のコースに入る、名物の難関、最初の激坂のドロップで渋滞にひっかかり、トップ集団から大きく離されてしまったのだ。激坂の頂点から急降下するドロップは、バイク1台分の幅しかなく、誰か1台がつまずいて停まると、その後ろに必ず渋滞が発生し、後続は足をつけて待たざるを得ない。レース直前のサマーキャンプでも、試走のときにも、足をつかずにここを通過できたKKは、だからこの渋滞に巻き込まれて足止めされたことが、悔しくてたまらなかった。高学年より短い距離に設定されたコース2週で競われる3年生のクラスでは、この数分間の足止めが、あとで挽回するのが困難な大きな差を生んでしまうのだ。「あそこで先に行ければ、わたしはもっと前でゴールできたのに」
KKのその悔しさに輪をかけたのは、双子のもう一人、JJがこの渋滞の前にここ通過をして、その結果2位でフィニッシュし、銀メダルを獲得したことだった。また、姉のShokaは、二人のレースに先立って行われた小学6年女子のクラスで優勝し、金メダルを獲得していた。3人姉妹のうちの2人がメダルを獲得したのだ。だからKKは悔しかった。ゴールの後は、涙が止まらなかった。
しかしこの悔しさが、KKの闘志に火をつけた。まず、ペダルを、今まで怖くて躊躇(ちゅうちょ)してきた「パッチン」こと、ビンディングペダルに換えた。そうしなければ、一足先にビンディングペダルを使っているJJには勝てない。いや、JJだけでなく、全国レベルで戦うためには、ビンディングペダルが必須だった。そしてKKは、自分ではっきりと、次の年の全国大会で、メダル獲得を目指すことを目標に決め、そのために欠くことのできない条件である、パッチンを決心したのだった。

KKとJJがバックパックに荷物を詰め込み、そして自分のお腹には朝ごはんを詰め込んで玄関から駆け出ると、genとShokaが、もう二人のバイクを表に出して用意をしていた。
「おそいよ、二人とも!あと、ボトルを忘れないようにね」Shokaのゲキが飛ぶ。JJとKKはそれぞれのバイクに駆け寄り、お気に入りの(Yosが誕生日にプレゼントしてくれた)ポーラーの保冷ボトルをセットする。JJはブルーにポーラーベアー、KKは赤いハートマークだ。
KKのバイクはSINで購入した、白いGTのザスカー、もともとはShokaのバイクだったが、Shokaがオルベアのアルマに乗り換えてからは、KKの愛車になった。
そしてJJのバイクは、この春にチームKのHiちゃんから譲り受けた緑のスペシャライズド。実はJJはいま、この新しい愛車に慣れることに苦労していた。

以前のJJの愛車は、シアトルから海を越えてきた(手前味噌の宣伝ですが、詳しくは、MOMOがゆくの、「JJ、本気の女の子」と「JJの自転車」をご参照ください。きっとこのバイクのファンになるはずです!)24インチホイールの鉄製のスペシャライズド・ホットロックで、磁石が引っ付くこの自転車の重量は、なんと24kg!(のちにgenのコメントにより、14kgであったことが判明。そりゃそうだよね。24kgっていったら、27インチのママチャリより重い!)実に、大人の乗る26インチや29インチのMTBの約2倍(のちに、1.2倍程度だったことが判明!!)の重量を誇る(?)このバイクは、チームMOMOの歴史の証明とも言うべき名車だ。ShokaやU太も、かつてはこのバイクで腕を磨き、脚を鍛えた。JJが今のバイクに乗り換えた後も、家族一人あたりの自転車保有台数が、世界一の自転車大国オランダのそれをゆうに上回る、S野家の自転車博物館で、大切に保管されている。
普通に考えれば、バイクの重量が半分以下(いやいや8割程度だった!!)になったら、「ラクに、速く」なると思われるのだが、なんとJJはこのバイクに乗り換えてから、逆におそくなってしまったのだったのだった。なんでなのー?!
何度も言うがこれまでJJは、24kg(しつこいようだが、14kgだった)の鉄のバイクを手足のように操り、激坂もそのバイクで「あたりまえ」に上ってきた。ところがその半分の重さもない、アルミのバイクに、JJは手を焼いていたのだった。
確かに上り坂は、サドルに座ってクルクルと脚を回しているときは、軽く上ってゆく気がする。しかし、勾配がきつくなってダンシングに切り替えるやいなや、JJはとたんにバランスを崩す。今までの感覚でバイクを振ると、まるきりタイミングが狂う。下りに至っては、なお悪い。今まではペダルに立っているだけで、重いバイクがどっしりと安定して、勝手に下を向いて走ってくれていたのが、こんどの軽いバイクは、ギャップのたびに下から跳ね上がる。突き上げを吸収してくれるはずの、反応の良いフロントサスペンションも、慣れないJJにとっては、スカスカと前輪が上下し、まことに扱いづらい。実のところ今までJJは、動かないサスペンションでギャップを越えるために、無意識に自分でハンドルを引き押ししていたのだ。しかしこんどのバイクでは、JJのその先読みのアクションが、かえって挙動を不安定にしていたのだった。そして、26インチと大径になったホイールは、踏み出しが重く、慣性モーメントが大きい。
見かねたgenが、数日前の夕食のとき「A川さんのSLRを譲ってもらえるかも、なんだけど、それをJJのバイクにつけちゃうか」と話したのは、genの見たところ、それであたらしいバイクのトータルバランスが取れて、少しは(JJに)乗りやすくなるのではないかと思ったからだった。しかしこの作戦は、このところレースでJJに連勝しているKKの「それはだめー!」という一言でお流れになった。軽量レーシングホイールを奪い合う小学4年生の双子など、きっと日本にこの二人だけだろう。いまこのときも、世間のお子様たちのあいだでは「アナにする?それとも雪の女王にする?」なのだが、そうではなく、「マビックにする?それともフルクラムにする?」というのが、M永S野家の、あたりまえの会話なのだった。笑っちゃうのだが。ちなみにこの家では、ジャージと言えば体操着ではなく、もちろんレーシングジャージで、「ゆびきり」と言えば、げんまんではなく、短いグローブということになる。そしてビンディングペダルはもちろん、「パッチン」だ。

さてKK、こちらは去年の全国大会の後にペダルをパッチン(前述のとおり)に換えてから、上りはもちろん、今まで潜在していた脚の力が開花し、レースを走るごとに速くなっていた。とくに素晴らしいのは、上りで見せるダンシングの美しさと力強さだった。というのも、はやくからパッチンを導入していたShokaやJJにたいして、これまでフラットペダルで通してきたKKは、ShokaとJJがシッティングで脚を回して上る坂でも、二人についていくために、いやおうなくダンシングで上るしかなかった。いきおいKKのダンシングの頻度は増す。それに加えて、軽い体重でダンシングをこなすために、KKは、自然に、必然的に、「そこに、こうやって乗るしかない」というベストポジションとベストタイミングのダンシングのテクニックを体得していたのだった。あたらしく手にした(いや、足にしたか?)パッチンの恩恵を活かして、クルクル回して足を残し、そして勝負のかかった場面では、得意のダンシングでぐいぐい踏む。その二つの乗り方を使い分けることができるようになったKKは、まさに水を得た魚だった。走ればはしるほど速くなる。シクロクロスの大会では優勝も経験した。そして全国大会でのメダル獲得が、夢ではなく、本当に見えてきた気がしていたが、しかし「ゆだんはきんもつ」。このところパパに、「Y山の道いこう、黒トラに連れてって」と、その夢に向かって、KKは練習を緩めない。
かつてMTBに乗り始めたころ、山のきつい上り坂で「KKも、こんな男の子みたいな自転車じゃなくて、○○ちゃんみたいな、カゴのついたキティちゃんの自転車に乗りたい」「もう疲れた!コンビニどこ?!」とぶち切れていた、あのKKとは別人のようだ。夢に向かって頑張る強い心は、かくも少女を変えるものなのか。女心は強し!ときどき怖し!

KKシクロ.jpg
シクロクロスにも参加。KKは優勝も経験した。

家族円満のため、超軽量レーシングホイールSLRのJJバイクへの投入を見送ったgenはしかし、やはりホイールのバランスを考えて、タイヤとチューブを軽量なものへ変更した。これで700gほどの軽量化だ。ホイールは回転すると、速度の2乗に比例して慣性モーメントが立ち上がるから、時速20kmで実走したときの軽量効果は…えーと、わかるかそんなもん!算数は苦手だ。でもとにかく、それがJJに福音(ふくいん)をもたらした。
ちなみに、「福音」のギリシャ語は「エヴァンゲリオン」で、「福音」とは、新約聖書におけるイエス・キリストの教えのこと。最初に書かれた新訳聖書正典はギリシャ語で書かれいるから、アニメのエヴァ…は、そんなところに由来があるのだろうね。いやー、いつもながら、Yosの書くことは勉強になるねえ!って、エヴァンゲリオンのことはどうでもいいとして、とにかくそれが、まるでキリストの奇跡のように、JJの走りを変えた。水をワインに変えるように(聖書・ヨハネによる福音書2章。って、誰も読まないか・笑)。
それはもちろん、ホイールの軽量化の恩恵だけではなく、JJが徐々にあたらしいバイクに慣れ、それをコントロール下に置けるようになったこともあっただろう。明らかにJJとバイクとの重量バランスの関係が良くなり、はじめは身体の下で跳ねまくるバイクにとまどい、翻弄(ほんろう=思いのままにもてあそぶ・もてあそばれる:岩波国語辞典)されていたJJが、今やその軽量化のメリットを有効に使えるようになってきた。
「そうか、前の重いバイクみたいに、上りでバイクを左右にふるひつようはない。この軽いバイクなら、わたしは真下にふむだけで、くいくいっと、坂を上る。下りは、グリップを握る力を少しゆるめてあげる。そうすると、フロントのサスペンションが、こんこんこんっ…て、かってにでこぼこをきゅうしゅうしてくれる…」
かちかちかち…と、JJの頭が回転しはじめる。よし、もう怖くないぞ!わたしはわたしは(2回繰り返すのがたいせつ!)、もっと速くなる。
そしてなんとか間に合った!速いJJが戻ってきたのだ。全国大会まで2週間となった7月19日のシマノ・バイカーズフェスティバルのガールズ2クラスで、JJは8位になった。
そしてKKは30秒差の9位。見るものを熱く感動させる、白熱の戦いだった。そしてこの戦いは、決して、おうちの食卓で、皿の上に残り1個になった、二人の大好物のネギトロ軍艦巻きに同時に手をのばして速さを競うのとは違うぞ。
JJとKK、二つの光は、らせんを成すようにお互いを抜きつ抜かれつ、けれども一つの光よりも力強く発光しながら、全国大会を目指して、加速してゆく。二人だから、一人よりも強い。

そしてついに、全国大会のレースがはじまった。
JJのパッチンが、まさにパチーン!と、いっぱつでかんぺきに入った。このパチーン!は、決してラッキーではなかった。狙いどおり!JJはこの一瞬のために、サマーキャンプのときから、ビンディングの角度をけんきゅうし、そしてどの角度で、またペダル円周のどこで力を入れるのが最適かを、なんども何度も練習してきたのだった。今年から「レーシング班」に入ったJJは、やーちゃん先生の、「ビンディングの角度はたいせつだよ」という言葉に重きをおいて、それを実践した。これはJJの、必勝の作戦だったのだ。それが今、みごとに決まった。「よし、パッチンは入った。これから、かそくしてもっと前にいくぞ!」

2014JJスタート.jpg
JJのビンディングがいっぱつで入り、スタートでトップに立つ。左後方からKKが追う。

JJの右手が、オートマチックの拳銃を撃つように、トリガーシフトを操る。引き金を引いて、発射、スライドが後退して排莢(自動式拳銃の薬莢が排出されること)し、また戻ってきて、引き金を引く。熟練の射手による射撃はこのように、流れるような動きを繰り返す。これが下手なら、ジャミング、薬莢詰まりを起こし、射撃は中断される。自転車のシフト操作においては、射撃におけるスライドの動きはリアディレーラーの動きになる。自転車におけるジャミングとは、リアディレーラーの誤操作によるチェーントラブルだ。そうなると万事休す。最悪の場合はディレーラーが破壊され、走行不能になる。もちろん、ふつうに日本に住んでいれば、実際に射撃をする機会などないが、実はこの二つの作動の関係はとても良く似ている。
熟練の射手のように、いまJJは右手の人差し指の動きとリアディレーラーの動きを完璧にシンクロさせて、シフトアップを繰り返してゆく。脚の回転も完全に合わせているから、どんどんギアが重くなっても、バイクはそのたび、はじかれたように加速を繰り返す。そして、なんとJJは、1コーナーの手前で、Hiちゃんに続いて2位につける。女子だけの1位、2位ではない。男子もあわせた、レースぜんたいでの1位、2位だ!ぎゃー!と、SKM48と、genが絶叫する。そのまま1コーナーに突入する。
だがここで、いつものとおり、いつものごとく、Hiは一番前をゆく。JJの右側、コーナーのアウト側から、ひとり違ったラインで、スピードを上げてゆく。このラインは、加速重視、鋭角的なアウト・イン・アウトのレーシング・ライン。いつもながら見事だ。かつて自分が乗っていたバイク、今はJJの緑のスペシャを置き去りうにしようとする。Hiにはそのとき、もちろん、いちばん前を走るラインしか見えていない。見ていない。
しかしJJは食い下がる。決してあきらめない。Hiの背中を、これ以上遠くしてはいけない。勝ち負け?今はそんなこと、考えていない。でも、この背中から、離れちゃいけない。JJは全力で、Hiを追う。

JJ外からHi.jpg
チャンピオン強し!Hiちゃんがトップでレースを引っ張る。JJがそれを追う。

KKはJJたちより1列後ろでスタートした。昨年の順位実績がスタート位置を決めるので、昨年6位だったKKは、セカンドローからのスタートになる。
KKのパッチンも、いっぱつで入った!昨日、そして今朝の試走で、パパとなんども何度も、スタートの練習をした。それが活きた。そしてKKはきょう、スタートでとくべつなさくせんを立てていた。フロントギアを、アウターにしてスタートしたのだ。スタートは、得意なダンシング、もともと、重いギアは踏める。しかし以前のフラットペダルに慣れていたKKは、その後の引き足に不安があり、これまではインナーギアを使ってスタートしていた。けれどもインナーでスタートしていては、強豪(きょうごう=とっても強いひとたち:Yos)ひしめくきょうの全国大会のスタートでは、前にいけないのだ。前にいけないとどうなるかを、KKは去年の大会で、いやと言うほどよく知っていた。「ことしは、去年みたいに悔し涙を流したくない!」いま、パッチンを得たKKには、心配もおそれもない。あるのは、この一年間、パパと一緒に、一生懸命頑張って練習したことを、全力で出すんだという強い気持ちと、失敗もおそれない勇気だ。あの最初の激坂までに、ぜったいに前にいってなきゃいけない!
KKは2列めから一人、ぐんぐん加速して飛び出した。左側前のほうに、JJが見える。なんとJJは、Hiちゃんのすぐ後ろを走っている。そして、あれ、間には男子しかいない。ということは私は、女子ではその次だぞ。HiちゃんもJJも、どんどんはなれてはいかないぞ。KKはそれをちょとふしぎに思ったが、だがそれは実は、KKもじゅうぶんに速かったからだ。速くなっていたからなのだった。
Hi、JJ、KKの3人は、あいだに何人かの男子をはさみながらも、トップ集団を形成したまま、最初の難関、勝負の激坂を上り、そして一人ぶんの走行ラインしかないドロップを越えていった。3人が、他の女子選手をひきはなしていく。

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チームK、Hiちゃんが見事に連覇。JJに自転車ありがとね!

Hiが、両手を高くあげて、女子4年生優勝のゴールを切った。昨年に続く、圧巻の連覇だ。素晴らしい。
えっ?「なんだよ、もういきなりゴールかよ」ですって?読者の皆様。だってYosは、今年はレースを見てないんだもの。それに、レースの特派員のUpapaが、「あの(激坂のドロップ越え)時点で、勝負は決まってましたね」って、言ったんだもん。だから、そこまで書いたら、あとはゴールでしょ(笑)。
遅れること58秒、JJが銀メダルのゴール。Hiの背中は、ゴールまでちらちらと見えていたが、追いつくことはできなかった。しかし、この長くきついコースを走って、その差を1分以内にとどめた。よく頑張った。でも、JJは、いつかは金メダルを、と狙っている。

JJゴール2014.jpg
JJがゴール。2年連続の銀メダルだ。スタート、最高にカッコよかったぞ!

心臓がばくはつしそうだったのは、genとSKM48だった、いや、その二人だけではない。Upapaは昨夜KKと、「UpapaはKKにメダルをとってほしい?」「もちろんだよ!」と話をして、それが現実になりそうで、おしっこをちびりそうな(きっと・笑)ぐらいドキドキしていたし、これまでのKKの頑張りを見てきたMOMOpapa、MOMOmamaたちぜんいんが、その瞬間を待っていた。次、つまり銅メダルポジションの3番目に山から下りてきて、オーバルコースに姿をあらわすのは、誰なんだ?はやく見たい、でもこわい!それがKKならいいけど、他の子だったら…それもKKがまた、4位とかだったら、いったい、なんて言ってなぐさめればいいのだろう。
誰だ!? 次に、誰が来る!!!???
そしてそのとき、ぜんいんがそれを見た。そして飛び上がった。Genは泣いた。Upapaも泣いた。SKM48は叫んだ。
オーバルに姿をあらわしたのは、ピンクと黒をベースに、右の袖と裾にチェッカーフラッグをあしらったロングスリーブジャージ。世界でいちばんカッコいいジャージ。それはチームMOMOのジャージ!
その最高のジャージに身をつつんだKKが、銅メダルのゴールラインに、いま、飛びこんだ!

KKスタート2014.jpg
ついに、KKがメダル獲得。努力がみのった。夢をかなえた。

KKは係りのおじさんに、タイム計測のタグを外してもらうと、待ちきれないようすのgenのところに走っていった。バイクを投げ出し(投げ出しながらも、きょうはありがとうね!私のGTと、ちゃんと心の中でお礼も言いながら)て、genの胸に飛び込んだ。
強く抱きしめられて、やっと、やっと手に入れたメダルの喜びを実感する。
そしてKKは、背の高いgenを見上げて言った。
「パパ、夢って、ただお願いして待ってるだけじゃいけないんだね。夢は、いっしょうけんめい頑張って、自分で、かなえるものなんだね」
KKの夢がきょう、かないました。いや、KKはそれを、自分で「かなえた」のです。

JJKKメダル.jpg
きっと、日本MTB会の将来を背負って立つ3人娘。終わってみればこの3人だけが、レースタイム20分を切る激走だった。3人でSO○Yミュージック(Yosの実弟が勤務)から、メジャーデビューが決定?! ユニット名は募集中!

高知県は、台風12号の影響で、1週間降り続いた豪雨に打ちのめされていた。各所で土砂崩れや土石流が発生、河川が決壊し、多数の被害が出ていた。
Yosはその様子を、JR高知駅にほど近い病院の入院病棟から見下ろしていた。病院のすぐ前の道路も冠水している。
「横紋筋溶解症」という、筋肉組織が崩壊して血液中に溶け出すという病気と、それに起因する脱水症状で救急搬送されたのが5日前。搬送時には四肢にまったく力が入らず、立つことも、手を動かすこともできなかった。今も指先や足先には感覚がない。振戦(しんせん)が強く、手と足が不随意にがくがくと震える。
本当はきょうの全国大会は、白馬で応援する予定だった。貧乏なYosのためにSKM48が旅費まで用立ててくれていたが、予期せぬ病気のために、楽しみにしていた、それも今年一番、楽しみにしていたこのプランが吹き飛んでしまったのだった。
きょうは朝から、SKM48とUpapaが、逐一結果報告のメールをくれていた。すでにTキ(中2)と、U太、Shoka、D地、Mackey(ともに中1)のレースは終わり、メダルこそなかったものの、それぞれ全員が、全力を尽くして戦ったという報告を受けていた。子供たち一人ひとりの顔とレースのもようが目に浮かび、Yosは熱いものがこみ上げていた。
そして、今受け取った、SKM48からのメール。
「JJ2位!KK3位!」という文字が躍っていた。メールなので、もちろん実際には踊ってはいなかったが、もしもこれが直筆の文字なら、それは思いっきり、躍っていたはずだ。
そのメールを見たとたん、Yosはもう、がまんができなかった。最初は心不全も疑われた(心臓の筋肉も溶けてますから)症状は頻脈で、通常50ぐらいの心拍が、今は100ちかくある。血中ヘモグロビンが低下し、ヘマトクリット値が30まで落ちている(これが高いほど有酸素運動が有利で、自転車競技で発覚するドーピング剤のEPOはこの数値を上げる。成人男子の通常のヘマトクリット値は42〜46程度で、ちなみにこれが50を越えると、生物学上ありえないということで、ドーピングとなる)ので、ただでささえ酸欠ぎみで息苦しいのに、感動して息がつかえて、よけいに苦しい。ひーひー、はーはー、嬉しいけど苦しい、かんべんしてくれー(笑)
けれども、とても幸せだ。息苦しいのなんて、どうでもいい。たとえ酸欠で倒れたとしても、ここは病院だ。ここで死ぬのなら、どこへ行ってもお陀仏だろう。

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点滴治療中に、SKM48からJJとKKのレース結果を受け取る。おおいに力をもらう。Yosだって、負けないぞ!

あつい涙が頬を伝って、ぽとぽとと廊下に落ちた。それを見た看護師さんが、心配そうに寄って来たので、だいじょうぶですと言いながら、スマホの画面を彼女に見せた。「自転車を教えていた子供が、メダルを取ったんです」。看護師さんは、一瞬とまどう様子を見せたが、Yosの涙が、うれし涙であるとわかると、うんうんと頷くと、「そうながやー、それはよかったですねえ」と土佐弁で言って、さらに、おめでとうございますと言って、ナースステーションのほうへ歩いて行った。

また子供たちに教えてもらった。また子供たちに力を与えてもらった。なぜ、俺のところの、MOMOの子供たちは、こんなにも力強いのだろう。みんな、命の輝きにあふれている。
いまJJとKKの放ったふたつの光は、遠く信州のスノーハープから、海も山も、そして険峻な四国山脈も越えて、Yosのところまで届いた。台風の厚い雨雲をも切り裂いて、まっすぐに進むその光は勇気と希望の光、ツインビームだ。

Yosは震える手に力を込めた。点滴のポールを握りしめて、がくがくとよろめく膝を強くして踏む。立ち上り、前を向こう。子供たちに、負けるわけにはいかないぞ。
「そうだ。俺だって、チームMOMOなんだ」
                                                    おわり
posted by Yos at 03:15 | Comment(3) | MOMOがゆく | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月18日

「MOMOがゆく」2014年全国大会編の、前書きにかえて

MOMOが行く
2014年全国大会編の前書きにかえて


Yosです。
皆様、先日の緊急入院の際は、ご心配をおかけしました。おかげ様で無事退院し、今は自宅療養でリハビリの日々です。こまかい症状はいろいろあるけれど、大まかに言うと「横紋筋溶解症」のダメージにより筋力が著しく低下しています。脚に至ってはまだつま先に麻痺が残り、通常時の20%程度の筋力に落ちてしまっています。手は、倒れたときの握力は、10kgを切っていました。階段は1歩ずつ足を揃えてだし、歩行速度は時速3kmぐらい。
でも大丈夫。必ず復活します。
今の私にとって、やりたくてもできないことの一つは、自転車に乗って、ダンシングをすること。だから、それができるようになるまで、頑張ってリハビリをすることを、大きな目標にしました。MOMOのみんなと走るために、Yosは必ず、またサドルの上に戻ってみせる。
Yosだって、あきらめないぞ! MOMOの子たちに、負けるわけにはいかないからね。

そんな私に、大きな力を与えてくれたのは、8月4日の全国大会の、MOMOのみんなの頑張りでした。今や、「全力を尽くす」と「あきらめない」という姿勢は、MOMOのチームポリシーであり、アイデンティティになっています。
チーム全員、ひとりひとりが自分の目標を立てて、それを達成するために努力する姿は、やる前から、できない理由を見つけて逃げてしまうことも多い、世間にスレた私たち大人に、大切な何かを気づかせてくれます。「そんな適当なことで、いいの?」と問いかけられているようで、恥ずかしくなります。
私は子供たちに自転車を教え(まあもう、今や子供たちの誰にも負けてしまうのですが)、ときにはメンタル面でのアドバイスもしたりする。けれども実際のところ、私が彼らに与えたものと、彼らが私に与えてくれたものでは、どちらが多いのだろう?そう考えるとき、私は圧倒的に、後者だと思うのです。つまり、私が子供たちから力を与えてもらうことの方が、圧倒的に多い。

今やMOMOの子供たちは、自主的に課題や目標を見つけ、そしてそれを達成するために、自発的に行動をしています。頑張ること、あきらめないことの大切さに自分で気づき、目標を一つずつ達成してゆくことで、理想論に終始するのではなく、それを実現するためには何が必要かを考え、そして実行しているのです。
目標は、ときには「夢」とも呼ばれますね。それを実現するために、一生懸命、頑張るという姿勢や経験は、もちろん自転車レースだけではなく、彼らのこれからの長い人生において、必ず役に立つはずです。困難なことや、辛いことに直面したときには、それを乗り越えるチカラになるでしょう。
そして、苦しいときも一緒に頑張ることのできる仲間がいることも、大きいでしょう。
最近巷を騒がしているような、LINEやネットばかりで繋がっていたあげく、誹謗中傷や炎上ということになり、時にはそれが悲惨な事件にまで発展してゆく・・・そんなのは本当の「仲間」とは呼べません。そしてそんな子供たちは、専(もっぱ)らバーチャルな仮想空間に生きているから、実際の出来事でのショックに弱い。本当の出来事に、対処することができないのです。とてもかわいそうなことです。部屋の中でモニターばかり見ているから、肌は青っ白く、生命感に乏しい。余談ですが、最近の脳神経科学の研究から、人間は、かつては人差し指の神経が、一番発達していたのだけど、最近の若者は、親指の神経の方が発達していることが分かったそうです。こんな急激な変化は、サルから人間への進化の中でさえ見られないもので、この変化(進化?)の原因は、ケイタイやゲームコントローラーのボタン操作によるものだそうです。人類の進化にまで影響を及ぼすとは、ケイタイ、ゲームコントローラー、恐るべし!です。
話をもどしましょう。
MOMOの仲間たちには、そんな空虚で悲しい仮想空間の友人ではなく、ホンモノの、生の触れ合いで、「ガンバレ!」と励ましあう仲間がいます。
爆発しても死なないゲームと違って、コケたら痛いし、血が出るし、時には骨も折れる。本当の痛みを知っているから、他人を傷つけることもありません。親指のコントローラーでCGの乗り物を走らせるのではなく、身体ぜんたいを使って、本物の自転車を走らせます。雨や風、季節の移り変わりを敏感に感じることのできる自転車は、子供たちの感受性を豊かにしてくれます。「さっきね、蝶々がね、ほっぺたに触りながら、飛んでいったよ。耳元で、パタパタって、音がしたよ」と教えてくれた子がいました。こんな素敵なことに出会い、感じることができるのは、あまたある乗り物の中でも、自転車だけでしょう。みなさんは、蝶々の飛ぶ音を、聞いたことがありますか?
夏は真っ黒に日焼けして、汗をかいていっぱい走って、コンビニでのアイスクリーム補給を楽しみにする。やっぱり、これこそが健康な子供の姿だと思います。

全国大会のレース当日には、逐次、SKM48さんがメールで生中継を送ってくれました。スマホに、その実況が届くたび、感動と、大きな力が、私を満たしていきました。中でも最高に嬉しかったのは、KKの銅メダル獲得です。コメントにも書いたけど、KKは、これまで、何度も入賞しているにもかかわらず、メダルとのめぐり合わせが悪かった。1位になって、賞品のヘルメットやタイヤをゲットするのは、それはそれで嬉しかったけど、やっぱりKKは、メダルがほしかった。だから「KKにメダルを」というのは、MOMOのみんなの、たっての願いでした。
そのメダルを、一番大きな大会、全国大会で獲ったのですから、これは本当に、映画のように劇的な展開です。自転車の神様(しつこいけれど、髭は生えてないよ)は、時にこんな、アカデミー賞全部門独占!ものの演出を用意してくれます。
そしてKKのこのメダルは、決してまぐれや、ラッキーではない。もちろん、クーでもない(笑)。
これまでのブログや、パパのFBをご覧いただくと、KKが今年の全国に向けて、いかに一生懸命、たくさん練習したかが分かります。
そう、MOMOの子供たちは知っています。夢は、ただ叶うのを待つものではなく、一生懸命頑張って、自分で「叶える」ものだと。

さて、前文が長く長くなりましたが、次に子供たちのレースレポートの総評です。
まず、みんな、書き始めたころより、文章力や表現力が格段に向上しています。自分の思いを、時に内側から熱く語り、また時に外側から客観的に見ることができるようになっています。これは、文章力云々というより、「そういう考え方をできるようになった、成長したと」見るべきでしょう。クールに現状を分析しつつ、ホットな熱意を持って、目標に向かって頑張る姿勢は、仕事ができるビジネスマンや政治家の行動規範にも通ずるものがあります。偉人で言えば、坂本竜馬や吉田茂が、そういう行動規範を持っていたのではないか。え、大げさだって?はい、そのとおり。でも、それが何か?(笑)
さて、では、一人ひとりのレポートを見てゆきましょう。

まずTキ、いきなり、コーテーションマーク(!)で始まる、劇的なレポートを展開します。使う言葉も、「強者(つわもの)」や、「(レースぜんたいを指して)ステージ」と表現するなど、読み物としても面白い文章を書きます。きっと、読書(マンガも含めて)が好きなのではないか。まだ今回の全国大会の1回しかレポートを読んでいないので、これからどういうスタイルでレポートを書いてくれるのか、大いに期待するところです。事実を忠実に踏みながらも、ロマンチックな描写が多いところなど、ちょっとYosの文章にも通じるところがあります。今回の全国大会の経験を経て、Tキがこれから、どういうアプローチで、次の目標に向かってゆくのか、楽しみです。

U太、単にレポートの域に留まらず、Tキとは違ったスタイルながら、同様に読み物としても面白いのが、U太のレポートの特徴です。まず、レースのレポートを、起承転結をもって簡潔に書いて、さいごに、客観的な自己分析と今後の目標を述べる。このスタイルが、きちんと確立しています。そしてそれは、読み物としても、次の展開、U太の思い・・・と、読者の知りたいところを、絶妙のタイミングで出してくるので、読んでいて面白いレポートです。スタートのシーンで、「1分前・・・30秒前・・・そして音が消え・・・」とカウントダウンしてゆく描写などは見事で、読者を、その瞬間の現場に連れてゆきます。
そしてU太のレポートは「決して言い訳をしない」という、彼の強い意志が根幹となって貫かれています。今年は幸いにもケガがなかったけれど、昨年の大会では1週間前に落車し、その後の1週間、キャンプ、大会本番と、両手をテーピングで固めて出場しました。両手とも骨折していたことが判明するのは、レースの翌日、病院に行ったときのことでした。その1週間の間、そして大会の結果に関しても、U太は一切、言い訳や泣き言を言っていません。「すべては自分の責任」と、小学6年生が、その潔い姿勢を貫いたのです。これには、彼の両親がU太に素晴らしい教育を施したことも大きいのでしょうが、MTBレースを通して得た強さと責任感も、大きいのではないかと感じます。

Shoka、最近、文章を書くのがとても上手になりました。以前のShokaは、けっこう大雑把に、ポンポンと結果報告のみを旨とするような簡単なレポートを書いて、genからの書き直し命令なども食らっていましたが、最近は文章の向上に加え、ぜんたいのボリュームも増えています。誤字脱字も、ほとんどない。これはきっと、MOMOの最年長者の一人として、また、彼女を目標とする年下の子も多いことを自覚し、「私がちゃんと、レポートを出さなきゃ」という責任感の表れだと思います。読書量も増えたのではないか。ShokaもU太同様、レポートを書くことによって、客観的な自己分析、そして次にやるべきことを、再認識できています。

U太とShokaに限らず、このように、レースレポートは、単に文章力の向上だけでなく、冷静な自己分析と目標の設定。そしてそのためのストラテジーを構築してゆくという、ひじょうに理性的かつ建設的な思考の育成に役立ちます。え、またまた大げさだって?それが何か?(笑)でも、このことに関して、私は間違っていない。自信があります。

D地、誤字脱字のない、きれいな文章を書きます。レポートの特徴は、まず冒頭に、そのレースに、自分がどういう目標、戦略で臨んだかを持ってきます。そして、それにたいする、レースの流れや結果を述べてゆきます。以前は、思い通りのレースができないと、すぐ泣く弱虫なところがありましたが、今は違います。強くなりました。「自分が弱いのは、誰のせいでもなく、自分の実力。泣いていても、強くはならない」と考えるようになってからのD地は、ならばどうすれば強くなれるかを考え、練習を重ねました。そして結果が出るようになってからは、レポートの内容も、これからの頑張りを宣言するような、力強いものになっています。

JJ、「れーす日記」というタイトルは、何年生まで使うのか、くくくっ、と、楽しみです。4年生ですから、文章は発展途上です。仮名遣いにもかわいらしさが溢れ、読むものに微笑みをもたらします。でも、そんなことを言ったら、きっとJJに叱られます。JJは、いつも真剣に、集中して、「どうやったら速く、上手くなれるか」を考えているからです。以前私は、「MOMOがゆく」の中で、そんなJJのことを、「カチカチカチと、考える」と書きましたが、我ながら絶妙な表現だと思います。今回の日記では、それが「ビンディングの角度」となって語られています。楽しくも発見の多いのが、JJのレポート、いや、れーす日記の特徴です。そして、「ここぞ!」という、一番伝えたいことのある場面では、「わたしはわたしは」と、主語を2回繰り返すのが、JJの特徴です。(これ、以前の日記にも出てきますから、ぜひ、見つけてください)。何しろこの、「わたしはわたしは」が出たら、読むほうも、ぐっと力を入れて読んでください。

そしてKK、読んでいてとても楽しい「れーす日記」を書きます。それには童話や詩作の趣(おもむき)があって、天才的な韻文(反対語は散文)を見せてくれます。自転車日記のはずが、海へ行って貝を拾う話になったり、美味しかった食べ物の話になったりと、まさに縦横無尽に展開します。そして楽しかった一日を、温泉で締めくくる。それがKKのスタイルです。温泉に限らず、「たのしかったです」というフレーズが何回も出てくる日記を読んでいると、ああ、KKが自転車を好きになってくれて良かったなと、とても幸せな気持ちになります。

以上、「MOMOがゆく」の2014年全国大会編を書くにあったて、「前書き」として、レポートの総評を書かせていただきました。今、本編を鋭意執筆中ですが、今年の全国大会に関しては、私は現場を見ておらず、ママパパへの取材や、本人への取材に加えて、子供たちのレポートからの想像で本編を構築してゆくことになります。ですから実際のシーンとはいささか異なった内容や描写が出てくると思います。
けれども、MOMOの子供たちと私は、お互いに心が通じ合っているので、たとえディテールは違えども、物語のベースとなる、いちばん大切な部分においては、絶対に間違いはありません。
乞う、ご期待!

わわわっ!雷で停電だ!いそいでアップしなきゃ。高知は今、降り続く雨のせいで災害が相次ぎ、大変です。稲刈りのシーズンを直撃し、浸水した稲穂を刈ることができません。それは水の中で発芽してしまったり、腐ったりしてしまいます。他の農作物への被害も甚大で、被災した方々は本当に気の毒です。どうかみなさん、一日も早く高知の雨が止み、被害が少なくなるよう、祈ってください。
posted by Yos at 18:17 | Comment(1) | MOMOがゆく | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月08日

「MOMOがゆく」番外編。幻の原稿発見!

Yosさんのパソコンに残された遺稿(死んでないって!)から、「MOMOがゆく」の原点を発見!

前章「あたらしい仲間」の書き出しでも触れましたが、昔に書いたエピソードが、面白い。(と勝手に本人が思っているだけ?)
これは、MOMOが、レースチームとして活動をはじめた、ほんの、はじめの始めのころのお話。いわば、「MOMOがゆく」の原点ともいえるエピソードです。だから文中の年月日については、「当時」のものです。それに若干修正や注記を加えています。
Yosはこんな感じで、SINに集う仲間や、MOMOのパパママたちに、自分が楽しみながら書いた文章をメールで勝手に送り始めたのでした。
まだスマホが今のように全盛になる前のことで、ケイタイの画面は小さかったので、受信した仲間からは、「あんな長文、読めるか!だいいち、全部受信できてないわよ!(by SKM48)」とか、文句を言われたものです。
それが今や、「次はいつ?」「続編が楽しみ」という励ましをいただけるようになったのは、嬉しい限りです。
これからも、ときに感動し、ときに泣き、そしてときには「くっくっ」と笑いながら、「MOMOがゆく」を書き綴っていけたらと思っています。そしていつかはそれが、「オリンピック出場までのノンフィクション」になったりして・・・と、かなり本気で考えたりしているのです。Yos

「MOMOがゆく」番外編
五丁目スポーツ外伝「頑張れチームMoMoと東大生! 」 何で東大生なんだ、読めば分かる!


解説:初めて読む方のために。「5丁目スポーツ」とは、バイクルームSINのチーム総監督(って言っても、べつに何にもしてないんだけどね)ことYosの、「総監督徒然草」(そういえば、徒然草の著者も、言わずと知れた『吉田兼好』)というようなものです。自分や仲間を取り巻く「自転車に関するよしなしごと」を、それこそ徒然なく(つれずれなく=ただなんとなく、思いのままを…てな感じかな)、監督目線で書き綴ったもので、ときにはコメディ、ときには感動物語で、短編小説やエッセイ風にしたものです。そんなふうに書いてますから、話が飛んだり、一貫性がなかったりしますが、それは何卒、お許しください。
長文ですから、すごーく暇なときに、その暇つぶしにでも読んでください。genちゃんなどは、「またかよ」と溜め息をついているはず(笑)。なおこれは、「限りなく真実に近いフィクション」ですから、「いやそれは違う!」とか、「そんなの勝手に書かないで!」などという野暮なことは言ってはいけません。
では、以下本編。

パララッパララッ…と、自転車仲間からのメール着信を告げる音で先日買ったばかりの(数年前のことなのでね)スマホが鳴った。さっそく受信リストをチェックすると、Upapaからの着信だ。なになに…。

「昨日は運動会の代休だったので、朝から幕張行ってきました。この前の奥の登りをまたいろいろと試しましたが、先日の登りはよいラインが見つかったので、試走でShokaちゃんにも試してもらうよう、U太に言ってあります。
1h耐久シミュレーションしましたが、28分で周回遅れにされました…(^_^;)
以下のメニューを夕方までかけて、こなしました。
点検 準備運動 サグ確認
ウォーミングアップ 30分
後半区間練習 5本〜
前半区間練習 5本〜
苦手な箇所の確認と反復練習
スプリント3周 2本〜
スタート練習 5本〜
耐久シミュレーション 1h 1本
何分でパパを周回遅れにできるか
(走行距離50km)
ご報告まで」

「こっ、これは!」。U太は、6月9日に幕張で開催されるabcカップの第1戦で、本気で勝つつもりなのだ。いいぞ、U太!Shokaも負けるなよ!KKとJJももちろんだ!Yosも応援に行くからね!ついでにShokaパパ(以下、gen)とUpapaも頑張ってね!いやもちろん一番たいへんなのはママたちです!(著者注:この一文に、この頃のママたちへのYosの気遣いが現れている。→「気遣い」というか、「いやまあ、子供たちに自転車ばっかり乗らせて!って、怒らないでよ。すんまそん」という言い訳)

まったく話が飛ぶという気もするが、昨夜のNHK「クローズアップ現代」は、元読売巨人軍投手の桑田真澄が、東京大学野球部のコーチに就任したドキュメントだった。その中で桑田は、無気力に連敗を続ける部員たちに向かって、「君たちは、なぜ野球をやるんだ?勝ちたくないのか?勝ちたいのなら本気で勝ちにいけ」と叱咤していた。
桑田コーチ曰く、「100球投げたら、よく練習したなあ、というような考え方があるが、それは間違いだ。ダラダラと投げる100球よりも、集中して投げる10球の方が、よっぽど意味がある。
だから今は、いろんなところに投げ分けようせず、10球のうち7球を、アウトローに決められるように練習をしなさい。練習では、アウトロー以外は投げてはいけない」というのだ。
練習で投げるのは、ひたすらアウトローのみ。そこに思いどおりに決められるようになるころには、既にどこにでも投げられるコントロールが、必然的に身についていると、桑田コーチは言う。だから、投手にとって勝負玉になるアウトローだけを投げ込めという理論だった。
174cmという、プロ野球選手としては小柄な体格だった彼は、余計なスタミナを使わないために、つまり球数を増やさないために、徹底的にそのコントロールを身につけた。なるほど!
そして東大生たちは、桑田コーチに感化されて、勝つことに本気になってゆく。(まあ、それでもまだ勝てないのだけど)
入団のときのゴタゴタもあって、現役時代の桑田のについては、Yos正直言って、あまり良いイメージは持っていなかったのだが、昨夜の番組を観てそのイメージが変わった。スゴイぞ桑田!(Yosも単純だが、いいものはいいのだ。意地になって、間違ったことを押し通しては、人格は進歩しません)
そして、その桑田の練習理論が、Yosの頭の中で、きょうのU太の練習や、大滝100kmを完走するためにgenが実行した練習と重なったのだった。

明確な目標を決めて、それに向かって本気になる姿は、美しい。見るものを熱くさせる。genの大滝100km完走もしかり。(いやあれには、本当に感動しました!)彼はその目標を達成するために、SINが主催する100kmを超えるロードバイクの走行会に、このところずっと、700・23Cのタイヤで軽々と走るロードバイクの中にあってただ一人、敢えてブロックタイヤのMTBで参加したのだ。それも、スペアタイヤや携帯ツール、補給食などを入れる本番と同じ重さにしつらえたバックパックを背負って。
その姿を見て、もしも「よくやるね〜」とか言うヤツがいたら、総監督はシバきたい。「それならお前、やってみろよ」と。Genからの完走報告のメールに、「こんな私でも完走できたことが嬉しい…」と書かれていたが、それは違う。「そんなgenだから」完走できたのだ。
同年代のオッサンたちの中には、「この歳でレースとかに出ても、無理なんかできないでしょ。月曜日の仕事のことを考えるとさー」などと言う人もいたりする。
しかし、そうじゃない。たとえホビーであっても、レースは「無理をするもの」なのだ。無理をしてどこが悪い。「できない」ではなくて、「やるか、やらないか」なのだ。それで月曜日の仕事中にヘロヘロになっても、それはそれで何とかなる(たぶん)。
そうやって、我ら自転車乗りは、次の目標を見つけ、次の自分と向き合ってゆくのだ。それは、ある者にとってはスピード、またあるものにとっては距離だったりする。
かく言うYos自信も、かつては「無理なんかできない・・・」というオッサンの一人だった。自転車に出会う前は。断言しよう。自転車には、人生を変える力がある。

去年9月のセルフディスカバリー大滝。42km完走者に、60歳を超えた女性がいた。表彰式での彼女への拍手とどよめきは、忘れられない。舗装もなく、一歩間違えば大怪我をするような激しい上り下りが連続する山道を、60歳超の「お婆ちゃん」が走り切ったのだ。
彼女に、賛辞以外の何を送れるだろう。「本気でやる」ことは、美しい。シワシワでも、彼女の笑顔はとても美しかった。

閑話休題。
さて、それにしても、次々に素敵なバイクを手に入れた、チームモモのキッズたちはどうだろう!ちょっと前まで20インチや24インチの、いわゆる「キッズバイク」で走っていた子供たちが、一斉に26インチの本格的なマウンテンバイクを手に入れて、走りはじめた。それも、自分たち大人の前を。
GenやYosは正直、「自分の前を、子供たちが走る」という現実に直面して、「ええっ!もう小学生に、負けちゃうの」とちょっと(いやけっこう)ショックだった。しかし、そのショックより、喜びの方がずっと大きかった。
上り坂では、子供たちのパワーウエイト・レシオにおけるアドバンテージは大きい。もちろん、きちんと脚が回せての話だが。それが、回せちゃうのだ。とくにShokaとU太は、上りが速い。そして3年生の妹分たちも、2人に引っ張られて、どんどん速くなってゆく。MackeyとD地だってそうだ。喘ぎあえぎ坂を上る大人の横を、彼らは軽やかに脚を回して、まるで重力から解き放たれたかのように抜いてゆくのだ。
けれども下りは、体重の重い大人の方が有利で、まだまだ速い…はずだ…その辺の、ちょっと乗ってるガキが相手なら!
だがU太は、その大人を、下りでも引き離す。それも、A 川さんや、Yosといった、仲間うちでは「下りが速い」といわれる大人を、だ。これにはビビった。もう参りました。

数週間前、五日市郊外の山のトラックに走りに行ったとき、今シーズンから、Jシリーズのエリートライダーとして活躍するノリちゃんが合流した。
五日市のその山は、アップダウンが激しく、速く走るにはテクニックを要する。
そこを、U太は初めてのコースにもかかわらず、ノリちゃんの後ろに張り付いて、嬉々として下ったのだ。テールスライドやジャンプを次々と駆使して下ってゆくU太に、Yosはついてゆくのがやっとで、途中の上りやギャップでスピードが落ちると、すぐに二人の背中が見えなくなるのだ。最後に、自分が怖くて斜めに逃げた1m以上のドロップを、U太がノリちゃんに続いて真っ直ぐ飛んだときに、「勝負あった」だった。
そしてそれ以降、総監督はもうU太に、あれこれ細かいライディングテクニックを教えるのを止めたのだ。
経験がある自転車乗りは、誰かと一緒に走ると、相手が自分より「上か下か」直感的に分かるものだ。そして相手が自分より「速い」のなら、それは自分よりも「上」ということになる。スピードにおいては、年齢や経験は関係なしで、「有無は言えない」のだ。だから「大人の方が子供より上」などという概念を持つのは、やめておくことだ。(ただしもちろん、公道を走るときには、まだまだ車とのやりとりや危険回避を教え、子供たちの安全を守ってやる必要がある)
このときYosがU太に思ったことは、「もうコイツは、乗ってるだけで、勝手に上手くなるだろう」ということだった。大人と子供では、体格が異なる。それが同じ26インチのMTBに乗るのだから、身体(からだ)と自転車の位置関係や動かし方は、自ずと異なる。それを、自分の感覚で言葉でU太に教えるよりも、U太自信が自転車と「会話」して体得する方が、正しいことだと、思ったのだ。

あれは緑山でのレースでのとき。自分たちのレースが終わって、ノリちゃんが出場する、Jのエリートクラスのレースを観戦したときのことだ。U太が、同じ場所を動かず、定点観測(観戦)をしていた。「U太、何でそこでばっかりで観るんや?」と聞くと、返ってきた答えは「僕はここがうまく走れないから、(エリートたちの)乗りかたを見てるんだ」だった。これには驚いた。というより、「目から鱗が落ちる」というやつだ。自分は、颯爽と走るエリートライダーたちを、ただただ、「へー、やっぱ凄いわ。あんなとこもろもいけちゃうんだ」という視点だけで観ていた。
ところがU太は、エリートたちの走りを、自分の走り方と比べながら観戦していたのだ。「どうやったら、あんなふうに走れるんだろう」と。
「おそれいった!こいつはやるな」と、Yosはそのとき思った。

このところ、新しい何かが動きだした気がする。近い将来、何かが起こる気がする(って、もちろん大地震とかじゃないよ)。そのとき、幸せの天使は、きっと自転車に乗ってやって来る。金メダルを持ってやって来るのだ。(著者注:この予言は的中し、昨年8月4日の全国小中学生MTB大会で、Shokaが優勝し、チームMOMOに金メダルをもたらしました)
Yosの影響でk、genが自転車に乗り始めたころ、週末ごとに、家事も子守もさせずにgenをサイクリングに連れ出すことにたいして、Shokaママ(今やSKM48さん)から「Yosが諸悪の根源よ!」と叱られたころが懐かしい。諸悪の根源は、英語で言うと「Hub of evil」だ(厳密には「悪の枢軸」)。この言葉はブッシュ前アメリカ大統領が、イラクのフセイン大統領を指して使った言いまわしとして一躍有名になった。
この「Hub」は、自転車のホイールのハブと同じ言葉だ。ちなみにハブが初めて使われたのは5千年前の古代エジプトの戦車「チャリオット」で、なんとそれは、砂漠の悪路を行くためのサスペンション機能まで備えていたというから、古代エジプト人の叡智には驚かされる。

話を戻して、「ハブ」という言葉そのもの語源は、「中心にあって、ぜんたいを支え、そしてぜんたいに影響を及ぼす存在」というところだろうか。
そしてなんと、なんと!古代エジプトのチャリオットと、自転車を意味する「チャリ」には…もちろん何の関係もない。あったらスゴイのだけどね。
今、僕たちにおけるそのHubは、間違いなくgenだろう。けれどもそれは「諸悪」のHubではなく、「幸せのHub」だ。だからって、genが自転車に乗ってやってくる天使ってわけじゃないけどね。天使は髭を生やしていない。そしてYosがShokaママからハブ(んちょ)にされる心配も、もうないだろう。(もうエエわ!)
いつだったか、レースからの帰り道、子供たちの寝息が後ろから聞こえるエルグランドの中で、genが言った言葉を忘れない。
「もしもYosさんに出会ってなかったら、今のような自転車人生はなかったなあ」と、そのときgenは言ったのだった。その言葉は、Yosの心の中で、宝物になった。

Yos自身、もうずいぶん昔にも思えるあの日に、イーゼルに乗ったブラックボードを見て、バイクルームSINという、マンションの奥にある(あった)怪しげな小さな自転車屋に足を踏み入れなかったら、今の人生はなかっただろう。
そこは、ロードバイクもマウンテンバイクも平等に扱う、稀有な自転車屋だった。よく、ロードバイク至上主義というか、「ロードがマウンテンより上」と考えている自転車乗りやショップを見るが、それは違うと思う。
実際に食ったこともない料理のことを、「あれは不味い」とは言えないだろう。だったら自転車に関しても、乗りもしないで、「マウンテンよりロードが上」とは思ってはならない。
自転車は、ロードもマウンテンも等しく素晴らしい。だからどちらも乗るのが、一番いい。
自転車にさしたる興味のない人たちは、僕たちが乗っているスポーツバイクを見て、開口一番、「これ、高いでしょ?いくらぐらいするの?」と聞く。最近はバカらしくて、本当の値段は言わない。「ええ。けっこう高いですよ」と適当に答えることにしている。
本当の値段を言うと、「ええ~!自転車に」という異口同音の言葉が返って来るが、自分を幸せにしてくれた、「人生最高の買い物」の値段だと思えば、それはそんなに高い値段じゃない。
自転車に出会えて、本当によかった。自転車のおかげで、素敵な仲間たちにも出会えた。彼らのいない人生と、自転車のない人生など、もはや考えられない。

「飯を食う、寝る、自転車に乗る」この3つは、僕たち自転車乗りにとって、どれも欠かすことができない、等しく必要なことのだ。
だってそれがないと、死んでしまうのだから。(完)
posted by Yos at 11:38 | Comment(2) | MOMOがゆく | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月02日

MOMOがゆく 「あたらしい仲間」

MOMOがゆく
あたらしい仲間

Tキ(中学2年生)

松葉杖.JPG
現在の、Yosの愛車、ならぬ愛杖(?)
軽量アルミフレーム!グリップは硬質スポンジタイプ!先端はソフトタイプでグリップ抜群!!(T^T)

うーん、ケガして自転車に乗れないから、「執筆時間がたっぷりある」というのも、何だかフクザツだけど、確かにそれはそのとおり。仕事は傷病扱いで休みをもらっているので、日中は暇がいっぱいあります。今はリハビリがてら、エアコンの効いた図書館で昼間の数時間を過ごすのが日課です。ってことで、その図書館で草稿を練り、昨日に続き、チョッ速で、「MOMOがゆく」の続編をリリースです。もっとも、「4年前(本文参照)」の部分は、4年前当時に書いたものに、若干の修正を加えただけです。当時からの古い仲間や、知る人ぞ知る、「5丁目スポーツ」時代に書いたものです。この「5丁目スポーツ」、今や古いパソコンからUSBで抜き取らなきゃいけないのだけど、自分で読んでも面白い!なので、これからはちょくちょく、その時代のエピソードもアップしていきたいと思います。乞うご期待?!
さて、では以下、本編をお楽しみください。Yos

MOMOがゆく
あたらしい仲間

Tキ(中学2年生)

ザザーッ!というスリップ音とともに視界が横に流れたあと、ガツン!とヘルメットに衝撃が来た。
リアタイヤがスリップしたとき、反射的にカウンター(リアタイヤが滑ったときに、フロントタイヤを、曲がるのとは逆方向に向けること)をあてたが、スタートダッシュの勢いに、下り坂だったことが相まって、コースの外側へ吹っ飛んだ。
一瞬、何も考えられずに呆然としたが、ライダーの習性で、あわてて倒れているバイクに駆け寄った。その瞬間、右足に、強烈な痛みが走った。
「初参戦」の、本格的なMTBクロスカントリーレースのスタート直後、Tキは「未舗装の山の道」の洗礼を受けたのだった。

Tキ落車.jpg
1コーナーで落車。山の道の洗礼を受ける。先頭がU太、その後ろでスリップしているのがTキ。

自転車に乗るのは得意だ。上りなら、大人にだって負けない自信がある。このぐらいのスピードなら、バイクをコントロール出来る自信もあった…。「だが、やっぱり、舗装路と山は、ぜんぜん違う」
ブレーキをかけて、タイヤの回転が止まっても、山の未舗装路では、バイクは停まらず、グリップを失ったまま、滑ってゆくのだ。
(ソロでの出場は)初めてのクロカンレースの緊張と気負いがあった。そこに試走の後、「Tキ君、よく脚が回ってるね。スタートでは、U太の後ろについていってごらんよ」と言うUpapaのアドバイスを、「そのままU太と同じスピードで…」と理解したのが甘かった。スピードが、試走のときとはまったく違う。速い!にもかかわらず、Tキは、思わずその速さに乗ってしまった。
あのときUpapaが言ったのは、「U太は、まずスタートで失敗することはないから、その後ろを走れば、ポジションがきれいに空くよ」という意味だったのだ。決して、今の自分が、U太と同じスピードで1コーナーの出口まで行けるということでは、なかったのだ。

2014年5月18日、富士見高原で開催された、「Aki Green Cup」。
スタート直後、下りながら右にターンする1コーナーで、Tキは、リアタイヤを派手にスライドさせて、落車したのだ。

さて、物語は、今から4年ほど前にさかのぼる…。

「Tキは、もっと走りたがっているな」
何度か後ろを振り返りながら、総監督Yosは思った。(著者注:ここで言う総監督とは、SINのチームの総監督を指す。MOMOの総監督は、言うまでもなく、genである)
先頭を走るシンスケに「ちょっと後ろを見てくるわ」と伝えて後続をやり過ごし、Tキのところまで下がってゆく。
Tキの走りを見るのは、去年の年末に千葉県のサーキットで行われたエンデューロレース以来だった。その時の印象は「小学生が、頑張って走っているな」という程度のもので、キッズ用のマウンテンバイクで一生懸命坂を登るTキの背中を「がんばれよー」と押しながら一緒に走った記憶がある。

SINに集う、Yosやgenの仲間であるロードバイ乗りの父親の影響で、Tキが700Cのロードバイクに乗りはじめたということは聞いていたが、きょう、久しぶりにTキの走りを観察していると、「もう子供扱いする必要はないな」と思う。
もちろん、Tキにしろ、今Yosの前を走っているShokaにしろ、一般公道の走行においては、自分たち大人が彼らをカバーして、安全を確保してやる必要はある。しかし、子供達を、ただ「きょうはよく頑張ったね」と、学校のPTAみたいに褒めるだけでは、この総監督は面白いとは思わない。
どうせなら、ますます自転車に乗るのを楽しくしてあげたい。それには、大人たちに一泡吹かせるような体験をさせて、自信をつけさせてやるのが一番だ。それは、子供たちが、もっと自転車を好きになるモチベーションにもなるし、また、「小学生にしてやられた」大人のたちの方にとっては、それは最高のユーモアになる。Yosはそういうユーモアを愛している。
「子供が、同じ条件で大人と勝負して、勝てるのか?」と思う方も多いかもしれないが、自転車においては、それが、できるのだ。

YosはTキに並走しながら、声をかけた。
「Tキ、ガンガン回せ。俺と一緒に、いちばん前まで上がるぞ!大人たちを全員、抜かしちゃえ!」
その瞬間、Tキの顔ぜんたいに、ぱっと笑みが広がった。
「待ってました!」とばかりに、Tキの脚の回転が上がる。そして前を走る大人たちを次々に追い抜いてゆく。「やっぱり、コイツはもっと走りたがっていたのだ」
声をかけたタイミングは、オネカンの入口の長い上り坂だった。上り坂は、キッズにとって、大人をやっつけるのに、うってつけの場面になる。30kgちかく軽いパワー・ウエイト・レシオのアドバンテージと、クルクルと回す軽快なぺダリングで、彼らは軽々と加速する。その加速には、油断をするとYosですら置いていかれそうになる。「Tキ、足首の動きがもったいないな。次はビンディングペダルだな」(著者注:このときは、まだフラットペダルだったんだね)。
「うん!」とTキ。
親のお財布のことなど無視した無責任なことを、この総監督は言う。しかし、もう子供扱いはしない、立派なチームメイトであり、「戦力」だと認めたからには、本当のことを言わざるを得ないのが、「総監督」たる者の務め(つとめ)なのである。(I上さん、勝手なこと言ってごめんねー!)

そして、あれから4年…物語は現在に戻る。2014年5月18日、富士見リゾート。

痛む右足を引きずりながらも、Tキは素早く愛車の状態を確認する。
ハンドルは…曲がってない。レバーやディレーラーは…だいじょうぶだ。よし、バイクは走る。
「でも、自分の足はどうだろう?」
左足をビンディングぺダルに入れる。そして、恐る恐る、痛む右足を、右のペダルに踏み込んだ。
カチン!クリートがペダルに入った。
「よし、いける!僕はまだ、走ることができる!」

それは、新しいMOMOの仲間が生まれた瞬間だった。苦しいことがあっても、前を向いてゆく、「あきらめない」仲間だ。
Tキは、このレースに「Team MOMO」でエントリーをした。(第1章からの読者ならご存知のとおり)Team MOMOは、もともとは、「モモ保育園」で出会った親子たちが結成したMTBチーム。Tキは、その結成以来のメンバー以外で、初めて加わった、新しい仲間だ。もうすぐ、Upapaが新しくプロデュースした、New MOMOジャージに、Tキも袖を通す。

Tキが手に入れたMTB(なんと、ドあつかましくも、チタンフレーム!)で、SINの走行会を走り始めた当初は、自分より一つ年下のU太や、女の子のShokaに置いていかれた。ロードバイクで舗装路を上るのなら、とにかく踏めば、バイクは登る。けれども山の未舗装路では、そうはいかないのだ。舗装路なら、どんな急な坂でも、ダンシングで上ることができる。けれども山で苦しまぎれにそれをやったら、リアタイヤがスリップするか、フロントが浮き上がってバランスを崩して、落車してしまう。
そんなことを学びながら、Tキはあたらしい仲間たちと、これからも、泥だらけになって一緒に走ってゆく。そこには、沢山の笑顔や、時には涙もあるだろう。
さあTキ、僕ら(私たち)と一緒に、夢に向かって、走ってゆこう。
(U太は、「Tキ君、上りが速い!ヤバイ!」と、早くもTキの上りのスピードに舌を巻いているよ。これから下りや、シングル・トラックのテクニックを磨いて、もっとU太をビビらせろ!Tキ!)



あとがき:
このブログをご覧の、沢山のTeam MOMOファンの皆さん(関係者以外にいるのか、そんな人!?)、また、田園都市線二子新地駅(bike room SIN所在地)にアクセス可能な、「これから、うちの子供も、マウンテンバイクに乗せて、こんなに素敵でカッコいいMOMOの仲間になろうかしら!?」なーんていう楽しい方がいたら、どうかご遠慮なく、SINのドアを…いや、ガラスの引き戸を叩いてください。
特にこれからの季節、店主シンスケの、氷点下まで寒いオヤジギャグを聞きながらのバイクえらびは、楽しくも涼しい、素敵なイベントになることでしょう。ちなみに、火・水が定休です。あと、四十路を前にして、この店主、今年からMTBのJシリーズにも参戦していますので、日曜日のご来店の際は、あらかじめホームページ(当サイトにリンクがあります)でご確認をお願いします…って。これで千客万来になったら、宣伝料よこせよ、このやろう(笑)
以上、愛をこめて、Yos
posted by Yos at 20:58 | Comment(3) | MOMOがゆく | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月01日

MOMOがゆく「負けないということ」

きょうは、Jシリーズ、お疲れ様!
Shoka、U太、D地、Mackeyは中学生、KK、JJ、KNは高学年になって、ライバルも増えたと思うけど、みんな頑張れ!
きょうの殊勲賞は、やっぱり1位になったKKかな。
久々の「MOMOがゆく」は、そんなみんなに贈る、応援の一章。
さあみんな、燃えろ!やる気になれ!

ちなみに、Yosは今、転倒(情けないことに、落車じゃなくて、家の階段で)による負傷。前十字靭帯および半月版損傷で、自転車どころか、歩くのも松葉杖(アルミ製で軽い!)です。今は週2回の通院でリハビリ中。
ってことで、執筆活動に専念?

MOMOがゆく
負けないということ
D地(中学1年生)

「よし、ひと桁には入った!」ゴールラインを越えたとき、D地は右拳をにぎりしめ、小さくガッツポーズをした。それは自分の中での、目標を達成したことへのガッツポーズだった。
レースを制し、他のライバルすべてを後ろに従えての、優勝のガッツポーズは、確かにカッコいい。それは勝った者のみに許される栄誉だ。
8位でのゴール。もちろん、優勝したのではない。今の自分に、このレースで優勝する力はないことを、D地自身はよく分かっている。それでも自然にガッツポーズが出てしまうのは、自分の中での目標、「10位以内」を達成できたからだ。
「ひとつ一つ、目標を達成してゆくのが、僕のやり方だ。そしていつか、必ず一番になってやる」切れ長の目を少し細めながら、D地は、きょうもまたその思いを強くした。
「眩しいな」と、達成感とともに、額の汗をぬぐいつつ、D地は青空を仰いだ。
レース中は、コースの一点を集中して見るから、小さく焦点が絞られていた瞳孔が、ゴールのあとに緊張を解いたからだろう。初夏の日差しが、「メガネのN島」でママが奮発してくれた、ぴったりとフィットするルディ・プロジェクトのアイウエア越しでも、ひときわ眩しく感じられた。

2014年6月1日、富士見パノラマで開催された「Jシリーズ・オープンクラス」。
同日開催のa.b.c.カップに、ライバルたちの幾人かは振り分けられたものの、昨年の全国大会優勝者も出場した、きょうのレースで、「ひと桁(つまりトップ10)」に入ったことで、D地はまたひとつ、目標を達成したのだった。

チームMOMOが結成され、MTBレースに出始めたころのD地の定位置は、後ろから数えた方が早かった。それどころか、かろうじてブービー賞ということもあった。
その頃、D地より早くからレースに親しみ、体格と体力にも勝っていたShokaとU太が表彰台に立つ姿を、D地は、拍手で祝福しながらも、「いつかは僕だって…」とうらやましく思わなかったと言えば嘘になる。

だから、D地は練習した。雨の日も、風の日も、雪の日だって、練習した。体重の軽い自分が有利な上りでのアドバンテージ(有利なところ)を大きくするために、たくさん、たくさん坂を上った。SINの走行会では、700Cロードバイクの大人たちに、26インチのMTBで喰らいついて走った。
そしてその努力は今、スタートダッシュのときのスピードとなった。「D地のロケット・スタート」は、今や誰もが認めるD地の代名詞になり、クラス別ではあるが、表彰台にも上がった。

スタートで、D地が飛び出す。U太よりも速く、Aキよりも先に。D地が、先頭集団の強豪たちを引き連れて、誰よりも速く、1コーナーに飛び込んでゆく。その時、猛スピードで突き進む三角形の頂点に自分がいるのを、D地は心地よく感じる。「今、この瞬間は、間違いなく、自分が誰よりも速いんだ!」(そうなんだぞ、D地!)

D地は知っているだろうか?そのときD地のスピードが、後を追うライバルたちのスピードを上げ、ひいては、レース全体のスピードを上げていることを。そしてレースは序盤から全力疾走の展開となり、いや増すスピードに伴って、緊張感のあるレース展開となるのだ。
そしてそれは、観客からすれば、「見ごたえのあるレース」になる。自分のロケット・スタートが、そんなレース展開の発火点になっていることを、D地自身は、おそらく知らないだろう。

余談であるが、かつて、ツーストローク500ccを頂点とするオートバイのGPレース(現在のモトGPに相当する)に、「ロン・ハスラム」というイギリス人のライダーがいた。当時のGPレースのスタートは、エンジンを停止した状態でライダーが走り出し、その後にバイクに飛び乗りながらクラッチをつないでエンジンを作動させる「押しがけ」という方式だった。
ロン・ハスラムは、この押しがけスタートが、めっぽう速かった。そして彼の「いでたち」がまた異彩を放っていた。派手なスポンサーのイラストやロゴが入っているヘルメットやレーシングスーツが当たり前のGPライダーの中にあって、ただ一人、純白にRHのイニシャルだけが書かれたヘルメットに、何のロゴもない真っ黒な革ツナギという、シンプルすぎる彼の姿は、極彩色に彩られた集団の中で、逆に一際目立ったものだった。
スタートのライトが点滅するや、ロンは誰よりも速く駆けて、誰よりも早くバイクのエンジンに火を入れる。そして、その白ヘルに真っ黒な後ろに、カラフルなロゴに身を包んだGPライダーたち(ケニー・ロバーツ、ワイン・ガードナー、フレディ・スペンサー、ケビン・シュワンツ…といった、名だたる世界チャンピオンたち)を従えて、第1コーナーへ突っ込んでゆく。
そのスタートからつけれれた、「ロケット・ロン」というニックネームは、当時を知るオートバイファンには、忘れられないものだろう。ちなみに、この章を書くにあたって、彼の成績を調べてみたら、年間ランキング4位が最高で、GPの本戦では1勝もしていない。まさに、「記録より記憶に残る」ライダーだった。

閑話休題。
だからと言って、D地がスタートだけ速くなって、「ロケットD地」と呼ばれろ、なんてことは、もちろんない。

D地(以下僕)は、よく思い出す。Yosさんが言った「ShokaとU太が5本上るのなら、D地は10本上れ」という言葉。だから僕は、たくさん、上った。
Yosさんが高知に去る冬の朝、お別れと、日光への修学旅行のお土産を届けた僕を抱きしめて、Yosさんは言った。「D地、負けるなよ」と。(お土産は「見ざる、聞かざる、言わざるの」マスコット、Yosは大切に、車のキーにつけています)

何に、「負けるな」と、Yosさんが言ったのか、その時の僕には分からなかった。
けれども今なら、僕にはそれが分かる。
もちろん、きょうの8位は、1位や5位に比べれば、「勝ち」じゃない。でも、Yosさんなら分かってくれるはずだ。僕は、「負け」てはいない。
なぜなら僕は、精一杯、戦ったからだ。抜かれてもあきらめずに、自分の持つ力の、すべてを出して、走ったからだ。「全力」で走ったあとって、本当に気持ちがいい。
でも、もちろん僕は、Yosさんが、「よし、これでじゅうぶん頑張った」とは言わないことも知っている。Yosさんはきっと、「よしD地、こんどは5位よりは上にいかなアカンやろ」と言うはずだ。
今はまだ、僕はスタートでのスピードを、ゴールまで維持できない。でも、僕はあきらめない。たくさん、たくさん練習して、いつか必ず、誰よりも速く、ゴールラインを越えてみせる。
そして、そのときの、ママとパパの笑顔を見るのを、僕はとても、楽しみにしている。あっ!もちろんYosさんの笑顔もね。



あとがき:
いつか、レース帰りの夕方にD地を送ったとき、彼の部屋を見ました。壁には、ワンピースのポスター並んで、レースのコースを示すテープで飾られていて、ひと目見て、D地が自転車を、心から愛しているのが分かりました。あのとき、疲れたD地は車に乗ってすぐ眠っていましたが、もちろん、夢の中でも、自転車に乗っていたのでしょう。幸せそうな、素敵な寝顔でした。頑張れ、D地!
posted by Yos at 19:34 | Comment(4) | MOMOがゆく | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月22日

JJの自転車

Upapa、「MOMOがゆく」書籍化するのか?
だったらもっと、読者層を増やさないと!
ってことで、なんと今回の「MOMOがゆく」は、「メルヘン」です。

MOMOがゆく 「JJの自転車」

 「あぶない!JJちゃんの上に落ちちゃいけない!」
僕はそのとき、できる限りの力で自分の体をひねった。鉄でできた重たい僕が、彼女の上にまともに落ちたら、JJちゃんはきっと大きなケガをする。
 僕は、自分のからだを、自分自身では、ほとんど動かすことができない。でも誰かが僕を動かしてくれているときだけは、ほんの少しだけ、自分の意思で、自分のからだを動かすことができる。
 なんとかJJちゃんの上に落ちないように、僕はパンプトラックの外側に向かって飛んだ。そのあとハンドルに強い衝撃を感じて、僕の右手ともいうべき、フロントブレーキのレバーが、ばきりと音を立てて折れるのが分かった。僕は痛みは感じない。でも、自分のからだのどこが、どうなったかは分かる。
 JJちゃんの大きな泣き声が聞こえる。彼女は、だいじょうぶだろうか?ひどいケガは、しなかっただろうか?

 そう、僕は、自転車だ。
 生まれたのは中国か台湾らしいけど、ずいぶん昔のことなので、それは忘れた。
 覚えているのは、アメリカのシアトルを走っていた頃のことあたりから。
 そのころ僕は、シアトルのシンボルともいうべき標高4,392mの休火山、マウント・レーニアのふもとを、K原さんちの元気な男の子と一緒に、走りはじめたのだった。マリナーズの本拠地のセーフコ・フィールドのちかくを走っていたときの、スタジアムの中から聞こえてきた歓声を、今も懐かしく思い出す。「あれはきっと、イチローだよ」と、彼(K原さんジュニア)は僕に、教えてくれた。
 シアトルは雨の多いところで、僕の仲間の自転車たちは、どんどん錆びて、走れなくなっていったけど、僕はとてもたいせつにしてもらったから、ぜんぜん錆びたりしなかった。
そしてK原さんの家族が日本に帰るとき、僕も一緒に日本に来たのだ。
 日本に来てから、その子(K原さんジュニア)は大きくなって、24インチホイールの僕は、彼には小さくなった。そうしてあまり乗ってもらえなくなった僕はしばらく、K原さんちの車庫で眠っていた。
 僕は、ほんとうは思いっきり、走りたかった。日本の野山は、どんなだろう?レーニアじゃなくて、どんな山があるんだろう?

 そして、僕は、また走れるようになった。
 K原さんが、自転車仲間のgenさんの娘さんのShokaちゃんに、僕をプレゼントしたからだ。
ガレージで眠っていた僕は、bike room SINという自転車屋さんに持ち込まれた。そして丁寧にメンテナンスをしてもらって、また走ることができるようになった。
 シフトやブレーキのケーブルをぜんぶ新しくしてもらい、からだ中にオイルを差してもらって、まるで生まれ変わったような気分だった。
 そしてなんといっても、わおっ!僕は新しい素敵な「足」をもらったのだ。
僕の新しい足は、SINの店主であるシンスケさん得意の「手組み」で、シマノの105のハブに、SUNのリム、DTスイスのホワイトスポークで組まれた、すごくカッコいいホイールだった。
 僕は鉄でできた古い自転車だけど、自慢はトリガーシフトのリア9速のギアだ。これは今でも完璧に動く。このギアと新しいホイールとの相性は最高で、僕はgenさんの長女、Shokaちゃんのライディングで、自慢の新しい足をぶんぶん回して、最初はサイクリングを、そして、わおっ!ついにはレースを走り始めた。レースを走れるなんて、本当に「自転車冥利に尽きる」というものだ。
 僕はShokaちゃんと、いろんなレースに出た。はじめのころは、舗装されたサーキットや、スタジアムの中を走るキッズレースだったけれど、Shokaちゃんが上達するに従って、僕たちの主戦場は、マウンテンバイクのレースになった。これは望むところだった。だって僕は、MTBなのだから。

 Shokaちゃんの背はぐんぐん伸びたから、僕はまた、彼女には小さくなった。ちょっとのあいだ、同じチームMOMOのU太君が僕に乗った。
 そして今、僕のライダーは、Shokaちゃんの妹、JJちゃんだ(KKちゃんは双子のきょうだい)。
 今、JJちゃん(と僕)の、大きな目標は、来月に開催される、「全国小中学校MTB大会」だ。実はJJちゃんは、ひそかにこの全国大会で表彰台に乗って、メダルをもらうことを狙っている。JJちゃんは僕にこっそり、「いっしょに、ひょうしょうだいをねらおうね」と話してくれた。
 僕たちはきょう、その大会の練習のために、3連休を利用して、白馬のコースを走っていた。そしてさっき、パンプトラックで、僕のフロントタイヤがギャップの底に突き刺さって、前向きに一回転してしまったのだ。JJちゃんは今、ギャップの底で小さく丸まって、泣きじゃくっている。僕は心配で心配でたまらない。genさんが、あわてて走ってきて、JJちゃんを抱き起こした。右足のひざの下あたりが切れて、血が流れていた。
「ああ、僕たちは、もう走れないのだろうか。全国大会も、だめなのだろうか」と、そのとき僕は思った。

 翌日、いつものように、ShokaちゃんのオルベアとKKちゃんのGTと並んで、僕を乗せたエルグランドは、関越自動車道を東京方面に向かって走っていた。
「やっぱり、JJちゃんのケガで、今回の白馬合宿(本来はあと2日を残していた)は、これでおしまいになって、僕たちは帰ってしまうのかな」
「でも、おやっ?」エルグランドは諏訪湖インターを降りて、市街地に向けて走ってゆく。「どこに行くのだろうね?」と僕たち(オルベアとGTの自転車たち)が「自転車語(まったく翻訳不可能)」で話していると、エルグランドは一軒の自転車屋さんの前で停まった。そして僕だけが、キャリアから下ろされて、その自転車屋さんの中に持ち込まれた。
 事前に電話で連絡していたらしく、自転車屋さんのオジさんが、僕の折れたフロントブレーキ周りを点検しはじめた。このオジさん、いつも僕をメンテナンスしてくれるシンスケさんとは違って、ちょっと、いや、ずいぶん無愛想だった。
 しばらく僕を点検したオジさんは、「だいじょうぶ。すぐ直せますよ。パーツあります」と言った。
 そして僕はとても丁寧に修理をしてもらった。パーツの交換だけでなく、左右の位置のバランスは完璧にセットされ、自慢の9速トリガーシフトも万全に調整された。グリップでカバーされて見えなくなるバーエンドのバリまでも、きちんと取ってくれた。genさんは、そのオジさんのことを、「ホンモノの職人さんや」とほめた。
 お店の在庫パーツの関係で、シルバーだったブレーキレバーは、フロントだけが黒になったけど、もちろん何の問題もない。いや、海賊の黒いアイパッチ(自転車が、知っているのか、そんなこと?)みたいで、むしろカッコいいぐらいだ。
 「これでまた、JJちゃんと一緒に走れる」僕は夢を見ているように嬉しかった。自転車が寝るのか、夢を見るのかは分からないけど。

 ひざのケガは痛そう(普通の小学校3年生は、こんなケガは、まあしない)だったけど、幸い、JJちゃんに骨折などの大きなケガはなく、また、アクシデントの精神的なショックも、JJちゃんは闘志を燃やしてはねのけて、翌週の「シマノ・バイカーズフェスティバル」では、なんと僕たちは3位になって銅メダルをもらった。
そしてそれから一週間後、ついに、最大の目標である、「全国小中学生MTB大会」のスタートラインに、僕とJJちゃんは並んだ。
 カチン、と、右足の「パッチン」が入る。
「さあ、いくよ。あの激坂の上までは、ぜんりょくでいくから。たのむよ、しっかり走ってね」JJちゃんが、やさしく、けれども闘志がこもった声で、僕にささやきかける。
「もちろん!いくとも。JJちゃん、どこまでも、走っていこう」
僕は彼女には聞こえない「自転車語」で答えた。

― 「全国小中学生MTB大会」の、JJとこのバイクのたたかいは、どうぞMOMOがゆく第5章、「JJ、本気の女の子」と、「ゴール」をお読みください ―

 それから僕とJJちゃんは、クロカンやエンデューロ、デュアスロンなど、いろんなレースを一緒に走った。ひょうしょうだいにも、たくさん乗った。
 そして年が新しくなって、きょうも、もちろん僕たちはレースだ。東京シクロクロス。
genさんが、いつものように、僕をエルグランドのキャリアから下ろす。
「わおっ!コースが雪で真っ白じゃないか!これでレースをやるのか。どうする?JJちゃん?」
「もちろん、いくわよ」
JJちゃんは最近ときどき、僕の「自転車語」が分かるようになったようだ。
 そのとき僕は、この前、JJちゃんが僕に、「ほら、君だよ」と見せてくれた絵のことを思い出していた。学校の美術で、「好きなものを書く」というテーマに、JJちゃんは僕を書いてくれたのだ。それはとっても素敵な僕の絵で、自慢の白いスポークのホイールは、前後の組み方の違いまで、きちんと書き込まれていた。僕はとても嬉しくて、そして誇らしかった。

JJのバイク.jpg

「もちろん、いこう。JJちゃん。雪でも雨でも、へっちゃらさ。どこまでもいっしょに、走っていこう!」

※MOMOのみんな、自転車は、君たちと一緒に頑張るパートナーです。大切にしようね!
posted by Yos at 22:30 | Comment(8) | MOMOがゆく | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月12日

レース日記(U太)

レース日記です。
私のMOMO全体レポートが追いついていません・・・
(引き続き今日のSIN走行会、雪まみれレポートも書きたいのですが・・(すごかった・・)
みんなのレポートが先にでて、だいたい様子がわかるかもしれません(^_^;)

<レース日記>
雪のレース楽しかった!次の課題も見えた

4週連続レースのうち2レース目のシクロクロス。今回はAキやRたんが雪のえいきょうで来ないなど色々ありました。コースはすっごい雪ですなのたたかいが雪の戦いとなりました。1〜3年生はKKもJJも最初以外すべておしてゴールというレース。そんな中4〜6年生のレースもスタート!

スタートからおしていたのはD地とAyuで、Ayuはそのあとすぐに乗っていた。D地はずっとおして1位のスタートだった。その後ろはぼくで2位につけた。その後は山の中はほとんど走れず、ほぼおしてレースをしていた。
ぼくが1位でレースをひっぱっていたが、山に入るとやっぱり乗れなくておして走りまくった。その結果4周あったレースで7割近く走っていた足がもたなく、あまり息はあがっていなかったけど、足がついてこなくて、1位から3位までおちてゴール!3位だった。
これもランと関係があるのではないか・・・どちらにしろ自転車もランも速いことには、ダメなことはないから、2ヶ月間ほどランの練習をあいてる時間などにやりたいと思っています。
デュアスロンや、トライアスロンなどにもつかえるし、ちょっとずつランも速くなっていきたいです。頑張ります。

無題.jpg(Dpapa)
よく頑張りました!3位おめでとう!
じゃあ、走りこもうか(^^) (パパ)
posted by Upapa at 00:34 | Comment(2) | MOMOがゆく | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月27日

スペシャルインタビュー Yosさん、「MOMOがゆく」を語る

今回は「MOMOがゆく」の著者であるYosさんに、五丁目スポーツ(神奈川県川崎市高津区の居酒屋限定のスポーツ誌。発行部数はだいたい、バイクルームSINの顧客数と同じぐらい)の文芸部記者がインタビューを行いました。以下、Yosさんとの一問一答です。

五丁目スポーツ(以下、五):まず、今回久々のアップとなったMOMOがゆくの新編、「約束」は、「泣いた」「感動した」…等々、まさに感動の嵐、の大反響ですね。(本当かよ?)

Yos:ありがとうございます。本当はもっと早くアップしたかったのですが、帰郷、転居にともなって、やることも多かったので、2ヶ月もあとになってしまいました。しかしその分、熟成度は上がったと思います。帰郷してから、実際に同じ市内にある(元祖の)「アンパンマンミュージアム」を訪れることができたことも、「本当に、アンパンマンから勇気をもらった」という実感につながり、それがストーリーの内容にも表れていると思います。

五:読者から、本編のなかで、「誇張、脚色と謙遜して書いているけど、ぜんぜんそんなことないよ。これはほとんどノンフィクションだよ」という意見が多く寄せられているのですが、その点はどうなんでしょう?

Yos:うーん、それについては、実はそのとおりで、物語じたいは、ほとんど実際の出来事です。ただ、ドキドキ感やワクワク感があって、読み物として面白くなるように、時間軸に沿って書くのではなく、出来事のインパクトをプライオリティにして書いています。そのへんのことがあったので、「誇張、脚色」と。

五:分かりました。けれどもそれはやっぱり、誇張でも脚色でもなく、むしろYosさんと子供たちの心理がストレートに出ているのだと思うので、本編からはその謙遜部分をカットしましょう。

Yos:お好きにどうぞ。

五:また、同じく読者から、他にもいくつか指摘が寄せられています。

Yos:指摘?

五:まず、A川さんがレース前に戦略を説く場面で「一人が1時間ずつ走って、ピット交代は3回のみ」というところですが、「3人のライダーが1回ずつ走るのなら、ピット交代は、3回ではなく2回ではないですか?」という指摘です。

Yos:うう、おっしゃるとおりです…訂正してください。僕は文科系で、さ、算数は苦手で・・・。

五:小学生でも分かる問題ですよ。

Yos:・・・・・

五:それと、これはもっと重要なことなんですが、「アンパンマンのマントの色は、赤やない!(関西方面からのご指摘)」という指摘です。これをご覧ください。(アンパンマンのカラーイラストを見せる)マントは茶色ですね。きっと、アンコの色なんでしょうね。

Yos:じぇじぇ!ほんとうだ。てっきり、マントは赤だと思っていました。これは、やなせたかし先生、ごめんなさい!すぐ本編を訂正します。

五:ちなみに、1973年にアンパンマンが登場したときは、あのマントは、ボロボロのつぎはぎだらけだったそうです。それについてやなせさんは、「なぜかといえば、正義のために戦う人は、多分貧しくて新しいマントは買えないと思ったからです」と答えています。

また、アンパンマンが自分の顔をちぎって、お腹が空いた人を助けることに関しては、「顔をちぎって食べさせるなんて、あまりにもひどすぎる。絵本というのは、子どもたちに夢を与えるものだ。この作者は、いったい何を考えているのかしら」「顔を食べさせるなんて、荒唐無稽だ。もう、二度とあんな本を描かないでください」とお母さんたちから苦情が届き、また専門家からは、「ああいう絵本は、図書館に置くべきではない」と酷評されたそうです。「こんなのは、正義のヒーローじゃない」と。

これについてもやなせさんは、「でも正義を行い、人を助けようと思ったなら、本人も傷つくことを覚悟しないといけないのです。自己犠牲の覚悟がないと、正義というのは行えないのです」と答えていますね。自分の顔を食べさせてまで、困った人を助けるということには、やなせさん自身が戦争のときに体験した、「お腹が減るのが、いちばんつらく、希望を失う」という体験が、その発想のもとになっているとも語っています。
そして、そのアンパンマンが、子供たちに大人気になっていった。

Yos:何が本当に大切で、どんなことをするのが「本当のヒーロー」なのかを決めたのは、大人や文芸専門家ではなく、「子供たち自身」だったのですね。

五:そのとおりだと思います。さて、Yosさん自身のことに話を戻しましょう。「MOMOがゆく」のなかで、Yosさんが一番伝えたいことは、なんですか?

Yos:まあいろいろとカッコよく「ヒロイズム」を語っていますが、僕が「MOMOがゆく」を書くのは、子供たちへのエールです。メインテーマは、「あきらめないこと」。そして、一緒に喜び、ときには一緒に泣くことのできる「仲間」の大切さです。

この「あきらめないこと」にかんして、僕には忘れられない、ひとつのシーンがあります。
それは、チームKとの合同練習でチャレンジした「神社坂(神社の参道には、だいたい、急な坂がありますね)」でのことなんですが、ただでさえ難易度の高いその神社坂が、その日は雨後で滑りやすくなって、さらに難しくなっていました。
MOMOとKのみんなが、列を作って、次々とアタックして、僕も何度か挑戦しましたが、ぜんぜん上れません。早々にあきらめて、見学組に回りました。そのとき完登できたのは、AokiとU太、それにRyoタンの高学年の3人だけじゃなかったかな。

その難しい坂を、いちばん小さい2年生のShuyaが、何度も何度も、あきらめずに上ろうとするのです。非力な体で、それも彼のバイクはフラットペダルでした。
「上れっこない」と、僕は思いました。「物理的に、無理だろう」とも。
けれども、滑ってコケても、ひと漕ぎふた漕ぎで足をついてしまっても、彼は黙々とまた列の後ろに並びなおして、上ろうとするのです。

その姿を見て、僕はさっさとあきらめた自分が恥ずかしくなりました。そしてそれ以上に、彼の努力を「上れっこない」と勝手に断じたことが、Shuyaにたいして、ひじょうに失礼なことだったと、恥じ入ったのです。
あのとき、周囲の誰がなんと思おうと、Shuyaの胸にあったのは、「ぜったい、上ってやる」という決意だけだっだでしょう。そのとき、Shuyaと僕の、どちらが「ヒーロー」だったかというと、間違いなく、Shuyaです。

五:「できるか、できないか」じゃない。「やるか、やらないか」なんですね。まさに、Yosさんがいつも子供たちに言っている。

Yos:そうです。あれはあたかも、僕自身の言葉のように使っているけれど、逆に、僕は子供たちからそれを学んでいます。チームKにHiちゃんという3年生の女の子がいるんだけど、この子なんて、「あきらめる」という言葉、知らないんじゃないかな?(笑)というぐらい、すてきに「あきらめない」。すぐに「いやいや〜、できませんよ」なんて言う大人は、彼女からしてみれば、「ばいばいきん」ですね。

そしてU太の、目標に向かって努力を続ける姿勢からも、「あきらめない」を学ぶことが多いですね。小学6年生が、毎朝起き抜けにローラー台に乗ってから、学校に行くのですから。学校で寝てなければいいんですけどね(笑)。その努力が実って、彼は先日、初めてa.b.c.カップで勝ちました。

五:U太といえば、「約束」へのUpapaさんからのコメントに、「Yosさんが実は弱気になって、それをU太が諌めた」というのがありましたが。

Yos:そ、それは…、まあ、カッコ悪かったんで、カットしといたんですが、そのとおりです。最初の4周、エラくきつくて消耗して、「もうアカン」と。でもそのとき、U太が、目で僕に問いかけたんですね。「Yosさん、いつも僕たちに、何と言っているの?辛かったら、やめちまえ、って、言ってるの?」と。そのU太に、最後の最後で、あきらめる姿は、ぜったいに、見せるわけにはいかなかった。まあ、Yos必死の、「有言実行」だったわけです。

五:でも、最終ラップは自己ベストで帰ってきた。

Yos:僕の前に入れた、A川さんの1周、Upapaの言うように、あれが大きかった。その間に、必死に補給食を詰め込んで、力を取り戻せたのです。僕はU太(子供たち)から勇気をもらい、そして仲間に、力をもらったのです。本編にも書きましたが、最終周回は、とても集中していました。全力で飛ばしつつも、チェーンの動きにまで神経がいっていましたね。路面の石もよく見えました。そして、本当に誰にも、抜かれなかった。まあ、それは幸運も味方してくれたのでしょうが、僕は、あれは自転車の神様(髭は生えてないよ→分かる人には、分かるよね)が僕にくれた、奇跡のプレゼントだったと思っています。

五:きょうはありがとうございました。これからも、「MOMOがゆく」の続編を楽しみにしています。ただ、子供たちと遠く離れて、取材や執筆は、たいへんじゃないですか?

Yos:そうですね。確かに今までよりは、時間がかかるかもしれません。でもこれからは、子供たちから、レースのレポートや作文を送ってもらって(送れよ!)、それをもとに書いてゆくのもいいかなと思っています。そしてもちろん、年に何回かは、実際に子供たちのレースを見に行くつもりです。

五:最後に、先日発表された、芥川賞と直木賞、どちらの候補にもYosさんの名前がなかったのは、意外だったんですが。

Yos:まあ、純文学の芥川賞のような芸術性は、Yos文学にはありませんから別として、直木賞とも、読者層が違いますからね。「MOMOがゆく」の読者は、全国の子供たち(大きく出たなあ)と、Yosを取り巻く自転車バカたちですから、気にしていません。ああ、それとこれは、M上H樹さんと話したんですが、「ノーベル文学賞も、別にいいよね(賞金はほしいけど)」と。あはは。

五:話がどんどんバカなほうへ行きそうですので、きょうのインタビューはこれで終わりにします。Yosさん、きょうはありがとうございました。

Yos:こちらこそ、ありがとうございました。

※ このインタビューは、フィクションです(笑)
※ アンパンマンミュージアムまでは、Yosの自宅から12kmでした。本編に7kmと書いたのは、間違いだったので、修正しています。まあ、MOMOやKにとっては、7kmも12kmもお散歩程度だよね。いつか高知においで。一緒に、アンパンマンミュージアムへ行こう。
posted by Yos at 22:23 | Comment(4) | MOMOがゆく | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月19日

MOMOがゆく 「約束」

 Yosが高知に去り、「MOMOがゆく」はもう終わってしまったのか?とご心配の読者の皆様(いるのか?そんな奇特な人?)お待たせいたしました。MOMOがゆく久々のアップです。
 タイトルは「約束」。今回の主人公は、なんとワタクシ、Yosです。ですからそれはもう、思いっきり、ヒロイズムのオンパレード?!になっちゃっているのを、お許しください。
 今回は、最後のレースで優勝を飾るという、奇跡の物語です。
 これからも「MOMOがゆく」を書き続けてゆく所存ですが、なんせ神奈川と高知と、取材対象と遠く離れてしまったので、今までよりは期間や描写の実感に隔たりが出ると思いますが、それはそれ。アップされた際は、楽しく読んでいただければ幸いです。Yos

MOMOがゆく 約束 (メリダミヤタカップ 2013年11月16日開催)
 U太(小学6年生男子)、A川(30代男子)、Yos(around 50 男子)


 エスコートライダーとしてU太の前を走っていた、チームメリダの斉藤亮選手が、教え子に微笑みながら左に逸れて、U太にゴールへの道を譲る。(斉藤選手とU太は、2年続けて参加したMTBサマーキャンプにおける師弟関係であり、お互いをよく知っているのだった)

U太ゴール.JPG
斉藤亮選手のエスコートで、U太が独走のゴール

U太優勝.JPG
U太がチャンピオン・ジャージを獲得。3位にはKのAyuが入った

 U太は、小学校高学年クラス、クロスカントリーのレースのゴールを、独走のガッツポーズで制した。メリダ・ミヤタカップというメジャーなレースで優勝。それはU太の誇るべき新しい戦歴だ。しかし今、U太はゴールラインを通過しながら、別のことを考えていた。
「よし、これでひとつ勝った。でも、きょうのメインレースは、このレースじゃない。僕はこのあと、Yosさんとの約束を守るために走る」

 U太の優勝のゴールから5時間あまり後、同じコース上を、Yosは走っていた。
最後のライダー交代を終えて、3時間エンデューロのゴールラインまで、あとは自分が走る。「約束」を、守るために。そのとき、Yosには、ひとつの歌が聞こえていた。

そうだ うれしいんだ 生きるよろこび たとえ 胸の傷がいたんでも
なんのために 生まれて なにをして 生きるのか
こたえられないなんて そんなのは いやだ!
時は はやく すぎる 光る星は 消える
忘れないで 夢を こぼさないで 涙
ああ アンパンマン やさしい 君は いけ! みんなの夢 まもるため

 そう、それは昨年の10月に94歳で亡くなった、Yosと同郷の高知県出身の漫画家、やなせたかしさんの生み出した、子供たちのヒーローのテーマソング、「アンパンマンのマーチ」だった。名曲「てのひらに太陽を」の作詞者でも知られる、やなせたかしさんは、漫画でも歌でも、その作品のなかで、生きることのよろこびを、子供たちに伝え続けた。そして、よろこびだけでなく、人生にはときに、悲しみもともなうことを。
 「てのひらに太陽を」の歌詞では「生きているから悲しいんだ」と歌い、アンパンマンマーチでは、「生きるよろこび たとえ 胸の傷がいたんでも」と歌っている。
 生きるということは、決してカッコよくて、素敵なことばかりじゃない。生きることには、必ず悲しみや苦しみがともなう。「悲しいことや辛いことは、必ずやってくるけれども、それを乗り越えてゆけ。そのむこうには必ず、よろこびがある」と、子供たち(というより、アンパンマンの視聴者は、ほとんど幼児)に向けて、やなせさんは応援のメッセージを贈っているのだ。
 幼児期にこの歌を聞いた子供たちは、悲しみや苦しみに出会ったとき、きっと心優しいヒーロー、アンパンマンのこの歌を思い出し、勇気を出してそれに立ち向かうはずだ。だって、大の大人のYosだって、そうなのだから。
 「時は はやく過ぎる」
 どんなに逃げたくても、悲しみのときは、必ずやって来る。けれどもそれを、勇気と優しさをもって、乗り越えてゆこう。

 きょうのレースは、YosがMOMOの子供たちと一緒に走ることのできる、最後のレースだった。
2013年11月16日、湘南国際村、メリダ・ミヤタカップ(以下メリダカップ)、3時間エンデューロの「ファミリークラス(大人に混じって、小学生が含まれることが条件)」に、「11月末に神奈川県を去り、故郷の高知県に帰るYosとの思い出のため、表彰台を狙おう」と、U太、A川、Yosの3人でのエントリーを提案したのは、U太の父、Upapaだった。そのエントリー以来、「表彰台に乗ろう」がチームの合言葉となり、そしていつしか、それは自然に「約束」へと昇華していった。

IMG_1307.JPG
Upapaの車のキャリアには、オルベアが3台

メリダの3人.JPG
ファミリークラスでの表彰台を「約束」した3人

 メリダカップの前週、緑山で開催された「MTBフェスティバル」で、Yosは3時間(荒天のため、2時間に短縮)エンデューロをソロで走った。Yosが3時間を一人で走った理由のひとつは、「MOMOとKの子供たちと、コースで一緒に走る機会を、少しでも長く持ちたい」ということと、そしてもう一つは、きょうのメリダカップのための、高強度トレーニングのためだった。ヒルクライムなどの、きついレースをこなすと、レースそれ自体がトレーニングとなり、その後の数週間は、高強度で走ることが楽になる。サイクリストは誰しも、それを経験値から知る。Yosは今、その効果を実感していた。そして今が、そのすべての成果を出すべきときなのだった。

補給.JPG
緑山のレース 子供たちのサポートを受けて走る


 レースは、1時間エンデューロと3時間エンデューロの混走で行われている。先ほど1時間のチェッカーフラッグが振られ、いま場内アナウンスは、1時間の各カテゴリーの結果を告げていた。それが終わり、レース実況は「ではこれから、3時間の途中経過です…」と移る。そして各クラスの現在の順位が告げられてゆく。ソロ、男子ペア、男女ペア・・・そして最後が、「ファミリークラス」。
 「現在、ファミリークラスの1位は、ビブナンバー(ゼッケン)966、Team MOMO & SIN!2位は同一周回で・・・」
 Upapa、Akou(Umama)、U太、そしてYosの4人は、息をのんで顔を見合せる。A川は今、コースを走っている。Upapaの周回カウントチェックにより、おそらく表彰台圏内にいることは分かっていた。しかしまさか、1位を走っているとは。もちろんそれは「嬉しい誤算」ともいうべきものだったが、反面、プレッシャーだ。「このまま、守りきってゴールできるのか?レースはまだ、半分ちかく残っている。そして同一周回で追ってくる2位のチームはこの状況を見て、これからどう動くのか」

 1時間あまりを経過して、現在1位という、この劇的な状況を生んだのは、今朝、ピットの様子を見て言ったA川の一言だった。
「U太は、どのぐらい続けて走れますか?1時間ぐらい、いけますか?」
「えっ?」質問の意味を計りかねている4人に、A川は続けた。
「1時間と3時間エンデューロの参加チームは、合計で300組ちょっとです。このピットなら、ライダー交代は少ないほど有利です。理想は、ひとりが1時間ずつ走ってゴール。ピットでの交代は2回のみ。試走の感じだと、一人が5周でしょうか」
 混雑必至のピットエリアに入るライダー交代を、極力少なくすることが勝算を生むというのが、A川の考えた状況判断、そして戦略なのだった。
 そう言われてピットロードを眺めてみれば、ジグザグと蛇行する狭いピットロードの両側に、300を超えるチームのテントやターフがひしめいている。そこを通過する間の減速走行を想像すると、なるほどA川の言うとおりなのは、自明のことと思われた。しかし、普通は1〜2周でライダーが交代する3時間のエンデューロレースで、一人が1時間を走り続けるレース戦略など、誰の頭にも思い浮かばなかった。「第一、そんなことが、できるのか」

 ここで読者(いつもYosの拙文を読んでいただき、ほんとうにありがとうございます!)のために、最近はよくMOMOブログにも登場する、このA川という人物のことに、しばしの行を割かなければなるまい。
 この某国立S大学の理工学部を卒業後、大学院で修士課程を修めた秀才の言うことは、総じて、正しい。基本スタンスが「希望的観測よる楽観論」というYosなどとは違い、A川は、例えそれが望まざることであっても、物事を冷静かつ客観的に判断する。たとえばMOMOに関することだと、以前にYosが「MOMOではまだ大きなケガが出ていない。このまま、上達してくれればいいんだけど」と言ったときなど、「Yosさん、ケガは、どんなに気をつけていても、するときには、しますよ」と言った。「なんてクールな言いい草なんだよ・・・」とYosはその時思ったが、A川の言うとおり、そのあとMOMOでは、子供たちの骨は数本、折れた。
 だからといって、A川本人が無茶をしない人物かというと決してそうではなく、Yosから言わせれば、「それは無茶苦茶だろう」というようなことを平気でやるバイタリティーを備えているのが、A川の面白ところであり、真骨頂だ。
 最近は少し落ち着いているようだが、いつぞやブルベ(長距離を規定時間内に走るサイクル競技)に凝ったときなどは、600kmを1日で走り、その翌日にMTBのレースに出て、その次の週はTTのレースに出てどこぞの人工湖の周りを1週し、帰って来て「明日はシクロ(クロス)なんですよ」などという、驚きをとおりこして呆れるようなことをやっていた。ライダーとしての実力もSINのチームでは抜きん出ており(まあそんだけ走っているから強いのは当たり前なんだけど)、来年からはMTBのJシリーズのエキスパートクラスで走る。

A川.JPG
秀才A川さんの言うことは、おおむね、正しいのだった

 とまあ、そんなA川の言うことには、ひじょうに説得力があり、Upapaは、ハッと我に返ったように、先の「U太はどのくらい続けて走れますか」というA川の質問に、「い、1時間なら、いつもabcのエンデューロで走ってますから、走れると思いますが・・・」と答えた。
「おいおい、やるのかよ?U太はいけるかもしれないけれど、俺もやるのかよ!?」と、Yosは心中穏やかでない。
「じゃあ、一人5周で、やってみましょう」とA川。「Yosさん、いけますか?」
「うう、よ、よし、いくよ(いけるのか!?)」と半ばヤケクソになりながらU太に目を移すと、今朝の高学年クラスを独走で制して、チャンピオン・ジャージを手に入れていたU太の瞳に、新たな闘志の炎が燃え上がっている。そして全員がもういちど目と目を合わせる。「よし、いけるところまで、いこう!」

 レースのペースが思ったより速く、その分消耗も早かったので、それぞれの一回目の周回は、実際には4周ずつだった。その後2回目は2周ずつ、そして同一周回で追ってくる2位のチームを引き離すために、A川がYosの前に全力のスプリントで1週を走り、ピットクローズの前に最終ライダーのYosへと引き継いだ。(これには、感動の3時間のゴールを、Yosに切らせようという、チームのあたたかいシナリオもあった)
 スタート直後、第一ライダーのA川が最後尾から、(小学生がスタートするチームがあることも考慮して、ファミリークラスは最後尾からスタートとなる)スルスルっと、(本人曰く「小学生を怖がらせない程度に」)上品に順位を上げていった。そして4周でU太につないだ。U太の次に、Yosが4周…レースは展開していった。
 表彰台に立てば、「約束」は守られる。しかし、優勝チームのみに与えられるチャンピオン・ジャージ(U太は朝のクロスカントリーで既に1着手に入れていた)が掛かっているこのメジャーレースで、1位と2位とでは、それこそ天と地ほどの差があるのだった。「ここまできたら、なんとしても、3人でチャンピオン・ジャージに袖を通したい!」

「Yosさん、これ、ラストです!」ゴールまで、あと半周を残すあたりのコース横で、Upapaが知らせる。最終周回を告げるチェッカーフラグがいま、振られたのだ。
「よし。それなら今からゴールまで、誰にも抜かれなければ、俺たちの勝ちだ!」
 2位のチームが今、どこまで追ってきていようとも、他のカテゴリーを含めて、それがどのライダーであろうとも、誰にも抜かれなければ、Team MOMO & SINが、クラス1位でゴールするのは間違いないのだ。だが、できるのか?
「いや、やってやる」
今また、Yosの耳に、アンパンマンマーチが聞こえてくる。

なにが君の しあわせ なにをして よろこぶ
わからないまま おわる そんなのはいやだ!
そうだ おそれないで みんなのために
愛と 勇気だけが ともだちさ
時は はやく すぎる
光る星は 消える
だから 君は(Yosは!)いくんだ ほほえんで
そうだ うれしいんだ 生きるよろこび
いけ! みんなの夢 まもるため

 「なんのために、生きるのか? なにが君の(僕の)しあわせなのか?」
と問われても、(この歳になっても)Yosには、はっきりとは答えられない。ましてや小学生であるMOMOやKの子供たちに、そんなことを問うつもりもない。けれどもこれだけは、はっきりと言える。

 なんのために? それは、あきらめないために、走るのだ。大切なのは、「できるか、できないか」じゃない。「やるか、やらないか」もっと言えば、「やろうとするか、しないか」ということなのだ。
そしてもうひとつは、ゴールで両手を広げて待ってくれている仲間と、家族のところにゆくために、走るのだ。(アンパンマンだって、ボロボロになって帰っても、ジャムおじさんに、新しい顔をもらうと、元気りんりん!に復活するじゃないか!)
 今の君たちは、それでいい。
 だからたとえ悲しいことがあっても、それを仲間と一緒に、乗り越えてゆけ。その気持ちがあれば、そこにはぜったいに、生きるよろこびがある。
 だからYosの愛する、MOMOとKの子供たちよ、夢を、あきらめるな。ぜったいにあきらめなければ、君たちは、何だってできる。

 最後のコーナーを立ち上がる。Upapaの声のあとは、ぜったいに落車しないように、そしてチェーントラブルを起こさないように、パンクもダメだというセーフティマージンを除いて、残った力のすべて注いで走った。そして(奇跡的にも!)あれから誰にも抜かれていない。
 ゴールはゆるい上り坂だ。夕方の日差しに延びた影が、自分より一瞬先にゴールラインを越える。そして今、Yosは万感の思いをこめて、両拳を突き上げて、ファミリークラス優勝のゴールを切った。
「U太、A川さん、そしてUpapa、俺たちの約束を、守ったぞ!」

Yosゴール.JPG
「約束」のゴール。そのときYosの胸に去来したのは…

 きょう一緒に走ったのはU太とA川の二人だけだったけれど、その時Yosは間違いなく、愛するTeam MOMOの子供たち全員と一緒に走っていた。自分の分身とも思えるTeam bike room SINとも一緒に走っていた。そしてこれからもYosの心は、この二つのチームと一緒に、走り続ける。
 勝利の余韻を楽しみながら、100mほどを走ってバイクを止めた。ゴールの丘を振り返ると、Upapaが駆け寄ってくる。その姿が涙で霞む。Upapaを抱きしめる。U太が走ってくる。抱きしめる。A川が優しい微笑みを湛えて歩いてくる(こんなときでもA川さんはやっぱり落ち着いています)。Akouも満面の笑みで駆け寄ってくる。二人とも抱きしめる。

 優勝の表彰式で、現世界チャンピオンのホセ・ヘルミダ選手から、素敵な黒いチャンピオン・ジャージを着せてもらったあと、インタヴュアーがYosに聞く。
「このチームは、どんな編成のチームなんですか?」
「僕の、家族です」
(まあ実際は、もうちょっとフツーの返答をしてしまったのだけれど、要するに、気持ちは、例え血はつながっていなくても、自転車の絆で強く結ばれた、家族ですということを、言いいたかったということです。)

 早いもので、あれからもう2ケ月が経った。その間に、転居や新しい職場への出勤、そして母の葬儀と様々なことがあったが、Yosの日常はようやく落ち着きを取り戻しつつある。
 高知の日の出は東京よりやや遅く、1月中旬のこの時期は、7時頃に日が昇る。母の霊前に供物と線香を供えるのが、今のYosの日課だ。祖母が毎朝、そして祖母から引き継いだ母が毎朝やってきたことを、今度は自分が引き継ぐとは、つい数ヶ月前までは、考えもしなかったなと、Yosは少し苦笑する。
 30年ぶりに起居することになった自室の棚を見上げると、そこにはメリダカップの優勝カップが飾ってある。アルカンシエルのホセ選手に手ずから着せてもらった黒いチャンピオン・ジャージは、今はクローゼットに大切にしまってあるが、そのうち専用の額を買って額装しようと思っている。(高学年クロスカントリーも勝って2着を手に入れたU太は、そのうちの一着を、惜しげもなく練習用に使っているようだが・笑)

メリダ優勝.JPG
アルカンシエル、ホセ選手からチャンピオン・ジャージを着せてもらう
優勝カップ.JPG
自室の優勝カップ。隣にはなぜか、染付けの壺が

 自室の窓を開て北の空を見ると、なるほど今朝の天気予報のとおり、山には雨雲がかかっている。頭(こうべ)を巡らして南の空を見ると、そこには一点の雲もなく、晴れ渡っている。これは南国高知の典型的な冬の天気だ。
 高知県の地形は、おおまかに言うと、とてもシンプルだ。すなわち北に山、四国の他3県と高知を隔てる四国山脈がある。そして南は海、太平洋に向かって、なだらかに下りながら、土佐24万石の平野が広がっている。
 そして今朝のような天気のあとは、必ずと言っていいほど、山に虹がかかる。山の冷気で冷やされた雲からの雨のあと、南国のあかるい太陽の光が差すと、そこに虹が生まれるのだ。
 その虹を見て、Yosは微笑む。虹は、希望の光だ。

 人生には、出会いと別れがある。そしてそれは、何かを捨てたから何かを得られるというような、簡単なものではない。けれども、希望を持って、前を向いて生きていれば、そこには必ず、「生きるよろこび」がある。
 そして傍らに自転車があれば、Yosはいつでも、どこへでも走ってゆける。あの虹のもとへでも、走っていけるのだ。今その虹に向かって、マントをひるがえしながら、アンパンマンが飛んでゆくように、Yosには見えた。
「夢と勇気を、ありがとう!アンパンマン!」

 やなせたかしさんの遺骨は、ご本人の遺言によって、今春に高知県香美市の生家の近くに埋葬されるという。そのときには、お墓参りにゆこう。もちろん、自転車で行こう。(といっても近くて、うちから12kmしかないんですけどね)
Special thanks: この章を、去る2013年10月13日に亡くなられた、Yosと同郷高知県香美市出身の漫画家、やなせたかしさんに捧げます。
posted by Yos at 23:21 | Comment(6) | MOMOがゆく | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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